毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
神と世界とわたしたち 創世記1:1-31
キリストによる救いが神による唯一の救いであることを理解するためには、神と世界と人についての根本的な関係を知ることが必要です。
創世記1章に記されているとおり、天地(世界)に満ちる一切は神が創造したものです。これがキリスト教の根本的な世界観です。
ただし、創世記の創造物語は、科学的な記述ではなく、神話的な形式を用いた神学的記述であり、「神は言われた。『光あれ』」(1:3)は実際に神の声が響いたとか、「第一の日」は24時間からなる1日であるということではありません。神の深い知恵により、秩序をもって天地が造られたということであり、その秩序ある世界にわたしたちが生かされていることを意味します。また、天と地の歴史的な完成(到達点・終末)も神のみ手の中にあります。
神が世界を創造したことを受け入れても、この世界の具体的な生成過程と有様を知ることにはなりません。科学的(学問的)探求によって世界の秩序(有様)を知ることは、神から人類に託されたいわば宿題です。
理論物理学によりビックバンと言われる自然科学的な宇宙の起源を探求すること、あるいは遺伝子研究によって人間を含む生物界の関連を解明しようとすることなどは、聖書の教えに反することではなく、奨励されるべきことです。この学問的探求によって明らかになる世界の有様は世界像といわれます。世界観と世界像の区別を理解するなら、神が世界を創造したとする世界観と、人類が英知を結集して今ある世界を解明しようとすることとは矛盾しません。地動説は、世界観ではなく、世界像の問題でした。この区別がわかれば、ガテンがいくはずです。
「我々に似せて、人を造ろう」との神による特別な創造のゆえに、人は宗教的な存在です。ゆえに、神と共に生きることが人の本来の姿であり、人として生きているということです。これは遺伝子研究によって解明されることではなく、聖書という神の啓示によらないでは知ることができません。神を知って、神が創造した世界に生きることにこそ、本当の喜び、平安、希望があるといえます。