毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
お前はメシアか マルコ14:53-65
キリスト教は旧約聖書と新約聖書を正典としており、両書とも生ける神のことばであって一体の聖書です。それゆえ、イエスの教えと行い、またメシアであるとの主張は、旧約聖書を背景としており、この点が今の私たちにはわかりづらいところです。
旧約において、罪を償うための犠牲の羊は祭司のところに連れて行かれます。それゆえ、イエスが身代わりの子羊としてささげられようとする時、大祭司のところに連れて行かれて、そこで取り調べを受け、死刑判決を下され、十字架につけられるということは、旧約の定めに適っています。このことから、「人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った」(14:53)というのは、とても意味のあることです。ただし、大祭司はイエスを贖罪の犠牲としてではなく、神を冒涜する大罪人のゆえに死刑と判断したのですが。
大祭司はイエスを処刑するための審問をはじめました。しかし、イエスを死刑にするため、わざと不利な証言や偽証までも集めたが有罪にできるものは無かったとあります。この点はとても重要で、大祭司でさえイエスには罪がないことを暗に認めざるをえなかったのです。
「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました」(14:58)との証言も不一致のため役に立たなかったと記されています。この証言は重要です。なぜなら、ヨハネ2:19によると、イエスは確かにこのことを語っているからです。ヨハネによると、別の神殿を建てるとはご自分の復活の体のことであり、復活を預言する言葉です。イエスは復活し、神殿を廃止して、教会を造りました。
黙り続けるイエスに対し、大祭司は「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問うたところ、初めて口を開き「そうです。・・・」と答えました。イエスは、神の前に立つ人類の代表として十字架の苦難を受けるのですが、イエスとは何者であるかと問えば、神のみ子すなわち神ご自身です。大祭司は尋問によりそれをも明らかにしました。