毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
埋葬の準備 マルコ14:1-9
「過越祭と除酵祭の二日前」(14:1)にとあります。過越祭にイエスは十字架にかけられたので、その直前のできごとがこの後続きます。
イエス殺害を願う祭司長や律法学者たちは、これから始まる祭りの間は民衆が騒ぎ出すといけないからやめておこうと考えていました。
にもかかわらず、過越祭にイエス処刑が起こったのは、過越の子羊として死ぬことをメシアによる救いとする神のご計画があったからです。人間の思惑を超える神の救いの一端がここにもあります。
イエスは重い皮膚病の人シモンの家の食卓に着いていました(3)。重い皮膚病は宗教的に汚れたものとされていたため、驚くべきことです。けれど、イエスは汚れを避けるのではなく、そのような境遇の者と交わることを喜びとしていました(1:40-42)。罪という汚れを代理的に引き受けて十字架の死へと向かうイエスの姿がよくあらわれています。
このとき、女性が高価な香油をイエスの頭に注ぎかけたところ、同席していた者が、無駄遣いをした、貧しい人を助けられるのにと憤慨し、女性を厳しくとがめました。
するとイエスは、彼らをたしなめて、わたしに良いことをしてくれた、前もって埋葬の準備をしてくれたと語りました。イエスは二日後に死んで葬られることになるのですが、十分な埋葬がなされませんでした。イエスの言葉によるなら、女性から受けた香油こそ立派な埋葬準備であるということになります。
また、キリスト(メシア)とは「油そそがれた者」という意味です。油注ぎは王位、預言者職、大祭司職に就くための儀式です。イエスは十字架の死と復活をへてキリストと呼ばれるにいたります。この女性の油注ぎは、死後イエスがまことのキリスト(メシア)となることを示す預言的行為となりました。それゆえ、イエスは女性の行為を喜びました。
女性は自分の行為の本当の意味を知りませんでしたが、イエスこそキリスト(油注がれた者)であることを示したこの行為は、間違いなく世界中で記念として語られにふさわしいものです。