毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
ここにメシアが マルコ13:14-27
イエスによる神殿崩壊予告と終末に関する黙示的教えの続きです。
14∼23を理解するカギは「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら」、「山に逃げなさい」です。エルサレム神殿が破壊され聖所に敵が立つのを見たら、一目散に逃げよ、という意味です。エルサレム神殿は、これまで2度敵軍によって破壊され、侵略者が至聖所を汚したことがありました(紀元前586年、同167年)。そして3度目が紀元70年のローマ軍による徹底的な神殿破壊とエルサレムに逃げ込んだユダヤ人の虐殺でした。
ローマ軍がいよいよエルサレムを攻撃するというとき、多くのユダヤ人は神殿に神の助けが降ると信じてエルサレム市街に立てこもりました。しかしキリスト者は、神殿が破壊される時には一目散に逃げよ、とのイエスの言葉を思い出し、エルサレムから逃げ延びて助かりました。
神殿に神の救いはないので頼るな、捨てよ、逃げて助かれとは、死と復活によって神殿を不要にするイエスがいいえた教えです。神殿崩壊と終末とは無関係であることは、神殿と神(の救い)の関係が終了したことを示すものであり、初期の教会にとって重要な意味を持ちました。また、キリスト教信仰にとって聖地・聖所はないということです。
では世の終わりは何時、どのように起こるのでしょうか。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」(26)。これが13章において最も重要なイエスの主張です。このことばは、大祭司の前で「お前は…メシアなのか」(14:6)と問われて「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」(62)に通じています。
「人の子が…来るのを見る」時に世の終わりが来る、これがキリスト教終末論の中心です。「人の子」とはイエスの自称です。死んで復活したイエスが再び到来する時、あらゆる時代にわたる、世界中の神の民がイエスのもとに集められてわたしたちの救いは完成します。
戦争、地震、神殿ではなく、イエス・キリストが終末のしるしです。