毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
政治と宗教 4
憲法をめぐる政治と宗教の関係を考えます。旧統一協会の活動、あるいは信者の活動などを規制・排除することが憲法上できるのかが問題となっています。この場合の規制・排除する主体は国であり、国が法律を使って規制・排除できるのかということです。
憲法は信教の自由、思想信条の自由、結社の自由、表現の自由を明記しています。このことは、いかなる宗教の存在も、またその宗教活動の自由をも基本的人権として国は保証しなければならないということです。この点から考えれば、国が法律を使って旧統一協会を規制することは困難です。
問題になっているのは、良心と財産を収奪して、当人と家族の生活を破綻に追い込むことは、宗教行為ではなく反社会的な行為ではないかという点です。これがカルト宗教といわれるものです。
カルト宗教は特異な教義(教え)を持ち、神の権威を使って繰り返し教え込むことをとおして、教義を人の心の奥底(良心)に入り込ませます。そして、特異な教えの理想・救いにいたるために、教団の指示・命令に絶対服従するように強いています。また、当人もその強いられた心の状態でないと安心できなくなっていきます。人格が破壊されることで、異常な状態が当人にとって安心できる状態になるからです。
このような信者の政治家事務所などでの政治的活動が、安くて(ただ働き?)、便利で(何でも行なう)、まじめそう(指示に忠実)に見えるのは当然です。宗教団体から、救いの方法として指示されているからです。
旧統一協会と信者の活動を正常な宗教行為と考えるか、収奪システム維持のための活動と考えるかで法的規制の賛否はわかれると思います。ただし、法律は社会にとっての万能薬ではなく、社会秩序のための最低限のルールです。真の解決は、教団自身が健全な教義と活動へと変わることです。宗教の健全性とは、判断・選択の自由を保証する教義を持ち、各々の良心を正しく解き放って自律した人格の形成を目標とするかどうかにあると考えます。