毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
政治と宗教1
旧統一協会に関する報道がさかんにおこなわれている中で、政治と宗教の関係が争点の一つになっています。8月は、戦争と平和について考える時ですが、戦前の国家神道体制あるいは教会の戦争協力の問題など政治と宗教の問題も関係しています。
政治と宗教は原則において対極にあるといえます。
政治の本質は良い意味の妥協です。すなわち、社会にはユダヤ教、イスラム教、キリスト教、神道、仏教、無神論、その他異なる価値観・イデオロギーがあることを前提にして、共に生きるための一つの社会・国・世界を築くことが政治の役割です。そのためには、各人が自己の主張を表明するとともに、妥協することが不可欠です。政治とは、異なる立場の者が妥協と協力によってよりよい社会を築くためにあります。
言いかえると、多様な価値観と現実を前提にした政治にとって、絶対という考えは成り立たないということです。
一方で、宗教は妥協を敗北・背教とみなすことがあります。それゆえ、妥協をゆるさず、殉教したり敵を殺害することを神の名をもって正当化し、英雄的行為として賛美することが宗教においておこりえます。宗教は神という絶対的価値を前提にするため、神の権威を誤用・乱用するなら、人命を犠牲にする状況さえつくることができます。
家庭が破綻しても献金すること、献金させることが美徳とされるのは、この宗教性の暴走・誤用であり、まともな宗教とはいえません。
政治と宗教は、妥協や絶対性を基準に考えるなら対極に位置します。けれども、歴史的にまた現実に、政治と宗教が結びつきやすいことも事実です。宗教と結びついた政治は、妥協を退け、絶対的に正しい政治を主張し、行うことができます。立場の違う者たちを圧殺する政治をも神的権威をたてに正当化することができるので、都合がよいのです。
宗教と結びついた政治は、妥協の余地のない、もはや政治とはいえないものになる危険があります。政治は、特定の立場のためではなく、多様な価値観を持つ万人のためにあります。