毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
金持ちと神の国 マルコ10:17-31
今日の箇所は、「永遠の命を受け継ぐには、何をしたらよいのか」(10:17)と問う財産家の求道者とイエスのやり取りではじまります。
この求道者はまじめに問うてきたのですが、哀しみながら去って行くしかありませんでした。するとイエスは弟子たちに「神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と語って弟子たちを驚かせました。
「子供のようにが神の国を受け入れる」(15)とイエスが語ったときには、神の国を受け継ぐことは容易であるように思えるかもしれませんが、今日の箇所では神の国に入るのは難しいとあります。
神の国に入ることは、なぜ子供にはたやすく、金持ちにはむつかしいのでしょうか。
「善い先生。…何をすれば」と問うてきたとおり、金持ちは神の国とは善いことをして受け継ぐものだと考えていました。そこでイエスは律法を持ち出し、やり取りの最後に財産を売ることを求めると、金持ちは善い者になれない自分を知り、悲しんで去っていきました。
律法は分別ある大人のためであり、子供にはまだ守れない立派すぎるくびきです。逆説的ですが、律法を持つ分別ある大人にとって神の国に入ることはむつかしく、律法を持たない子供にはたやすいことなのです。律法学者にはイエスの救いが理解できないのと同じことです。
イエスは10:1にあるとおり、ガリラヤ伝道を終えてエルサレムに向かって進み始めました。そのエルサレムにて自分の命を捨てて神の国をもたらします。その神の国・永遠の命を受け継ぐためには、律法に頼るのであれば絶望しかないことを今日の箇所は教えています。では何によって神の国に入るのか。「わたしに従いなさい」(21)と語ったとおり、イエスに従うことだけが唯一の道です。
イエスの死が永遠の命をもたらすことは、「人間にはできることではないが、神にはできる」(27)驚きに満ちた救いです。