毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
今日の箇所からマルコ福音書は新しい段落に入ります。ペトロがイエスに対して「あなたは、メシアです」(8:29)と語ったことで、エルサレム入城直前の10:52まで、メシアとは何者かというテーマで話が進んでいきます。
イエスが弟子たちとフィリポ・カイザリアに行く途中、弟子たちに「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と問いました。「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人」と弟子たちが答えます。
するとイエスは「それでは、あなたがたはわたしを何者というか」と問います。弟子たちは「あなたは、メシア」と答えました。ここには、人々と弟子たちの理解の違いがハッキリあらわれています。
メシアとは、旧約聖書のことばであるヘブル語であり、「油そそがれた者」という意味です。旧約時代、預言者、祭司、王が就任するとき、頭に油を注ぐことで、神によって職に任じられたことを示しました。救いをもたらすため、神によって用いられる者がメシアです。イザヤ書45:1では、聖書の神ヤハウェを知らないペルシャ王キュロスについて、「主が油そそがれた人キュロス」と記されています。イスラエル人をバビロンから解放するため、神がキュロスを用いたからです。神が遣わす本来のメシア待望論がイエスの時代には高まっていました。
キリストとは、メシアをギリシア語に訳したことばです。そもそも救済者、王、将軍、運転手というように特定の個人を指さない一般名詞であり、誰にでも使えることばでした。けれども、イエスこそ唯一まことの救い主、待ちに待ったメシアであって、このようなキリストは2度とあらわれないと認識したことで、イエス・キリストという名前、固有名詞として使われるようになりました。
人がイエスを偉人、知恵者、宗教家、革命家など、たとえ好意的に理解するとしても、わたしたちはイエスを救い主キリストとして受け入れる以外にありません。人がイエスに当てはめる歴史的価値ではなく、聖書が教える永遠的価値ゆえにイエス・キリストを受け入れます。