心は燃えていた

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心は燃えていた

教会は復活の主と会い、その教えによって誕生しました。それゆえ教会は復活の主の目撃証人です。

本日の聖書箇所は、エマオ途上と呼ばれるできごとです。

 イエス復活の日、弟子たちが朝のできごとを語りながらエマオに向かっていると、復活の主がやって来て話に加わったのですが、弟子たちはイエスと気づかないままエマオまで行ってしまいます。夕食の席で、パンを割くイエスの姿を見て、それと気づたところ、イエスの姿は見えなくなりました。

 このできごとは、イエスの十字架の死を見て絶望した弟子たちの姿をあらわしています。絶望の深さゆえ、婦人たちの報告、すなわち天使たちが「イエスは生きている」と語ったことを素直に受け入れることができませんでした。

 それ以上に、弟子たちが復活の主を認めていく様子が重要です。イエスは二人を「ああ、物分かりが悪く、…」と嘆いて、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(24:27)のですが、この時のことを二人は「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(32)と語っています。イエスの教えと聖書が心を燃え立たせた、イエスの苦難の意味を悟らせていったのです。

 そして、最後はイエスが二人の前でパンを割いて手渡した時、以前のイエスの姿と重なり、目の前の人物が死んだはずの先生であることがわかりました。

 教会のかしらは復活の主イエス・キリストです。礼拝における聖書朗読と説教は復活の主のわたしたちへの語りかけです。エマオ途上でのイエスと弟子たちの有様は、今も教会の礼拝を通して行われています。また、聖餐式は命のパンを主イエスからいただくことを象徴する儀式です。

 弟子たちは復活の主の教えを聞き、主イエスと食卓の交わりを持ったことで、信仰を回復しました。教会は復活の主と会い、その教えによって誕生しました。それゆえ教会は復活の主の目撃証人です。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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