毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
今日は十字架におけるイエスの最期の姿です。
イエスが十字架にかけられていた昼の12時から3時まで全地が暗くなったと記されています。暗闇は、出エジプト記10:21以下にあるエジプトへの暗闇の災いからわかるように、神の裁きです。「全地」が暗くなったというのですから、全世界が裁かれたということです。
ただし、その裁きを理解し、苦しんでいるのはイエス一人です。神の裁きにつつまれる中でイエスだけが苦しむ姿は、イエスを受け入れる全世界の、またあらゆる時代の人々の身代わりとなって罪を償うというキリスト教信仰の核心を明らかにしています。
神殿の垂れ幕とは、神と人とを隔てている罪を象徴的にしめす祭具です。この幕が真ん中から裂けたことは、キリストの苦難によって罪の償いが果たされ、神にいたる道が開かれたことを意味します。
それゆえ、幕が裂けた直後、イエスは罪を償うというメシアの使命を果たし終えたことを知り、「父よ、わたしの霊をみてにゆだねます」と大声で叫び、息を引き取られました。「息を引き取られた」と訳してありますが、「霊を渡した」と書かれており、自分から父なる神に霊を渡したということです。
弟子に裏切られ、逮捕され、裁かれ、十字架につけられ、殺された、というように見えますが、メシアとしての生涯を自ら積極的に果たしていき、最後に信頼してみ父に霊を自ら渡した、ということこそ救いの真理です。
不思議なことに、「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人であった』と言って、神を賛美した」(23:27)と書かれています。
十字架のイエスをとおして神を賛美した最初の人は、イエスを十字架につけ、あざ笑い、直接死に追いやったローマ軍の百卒長であったとは驚きです。けれど、一番そば近くですべてを見ていた人物の証言ですから、信用のおけることばであるといえます。また、イエスの十字架にこそ、神の救いを見ることができることをあらわしています。