まことの悔い改め

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まことの悔い改め

結論的には、まことの悔い改めとは、嘆くことではなく、神とともに喜んで生きるという、生き方の転換のことです。

今日の聖書箇所は、ヘロデが洗礼者ヨハネを殺害するところです。

ヘロデの耳にイエスのことが届いたことは、12人の弟子を宣教に出したことの成果です。

ヘロデがイエスのことを聞くと、イエスは自分が殺害したヨハネが生き返ったのだと考えました。それには理由があります。ヨハネもイエスも悔い改めを迫ったことで共通していたからです(マルコ1:4、15)。イエスの弟子たちも「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した」(6:12)とあります。

ヘロデがヨハネを殺害した様子を読むと、捕えたヨハネの教えに喜んで耳を傾けていたとか(6:20)、ヨハネ殺害の場面では「非常に心を痛めた」(26)という姿が描かれています。ある意味でヘロデの良心がかいま見えるようにも読めます。しかし、結局はヨハネを残酷な方法で殺すにいたりました。

聖書が教える悔い改めとは、しまったと思ったり、後悔したり、心を痛めたりするということとは違い、神を受入れ、神に向かって生きるという生き方の方向転換のことです。ヘロデにも心の迷いというある意味の人間らしさがありましたが、自分の意地と他者の評価を第一とするという生き方の基準に変わりのないものであり、神に向かって生きるという悔い改めとは全く違うものでした。

ハイデルベルク問88は、まことの悔い改めとは古い人の死滅と新しい人の復活という二つからなると書いています。すなわち、悔い改めとは全く新しい生き方がはじまる、はじめる、ということです。問89は古い人の死滅について、心から罪を嘆くと書いて、それまでの神を知らない生き方を悔いることと教えています。問90は新しい人の復活について、キリストをとおして神を知ったことを喜びとし、神とともに生きることであると書いています。

結論的には、まことの悔い改めとは、嘆くことではなく、神とともに喜んで生きるという、生き方への転換のことです。

毎週日曜日は礼拝の日

仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。

日曜日 朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
水曜日 祈祷会
14時00分から15時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。

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