毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
今年のカナン教会の年間聖句は「神は我々と共におられる」(マタイ1:23)です。天使がヨセフに、イエスの誕生は「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(イザヤ7:14)の成就であることを伝えました。その「インマヌエル」の意味は「神は我々と共におられる」です。
神が「共にいる」ことは、旧約聖書も強調していることです。父をだまし、兄に殺されそうになって逃亡せざるをえなくなったヤコブに、「主が傍らに立って」(創28:13)、「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」(15)と約束します。この後も神が「共にいる」ことが繰り返し出てきます(28:20、31:3、5、35:39)。ヤコブは、おじラバンのもとに20年以上にわたって滞在し、ラバンからだまされるなど苦難を経験しますが、神の支えを得てカナンに戻ることができました。
エジプトに行くことを拒むモーセに掲示された神の名前はヤハウェ、すなわち「わたしはある」(出3:14)です。その意味は、「わたしは必ずあなたと共にいる」(12)であり、ヤコブにあらわれた神と同じです。
イザヤ書7章におけるインマヌエルは、神を退けてアッスリア王に頼ろうとするウジヤ王に語られているのでわかりづらいのですが、「神は我々と共におられる」ことに信頼しないなら国(ユダ)は滅びるとの警告のなかで語られたものです。
マタイ福音書の最後も「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共におられる」(28:20)です。マタイは、初めから終わりまで「神は我々と共におられる」ことの意味と、その祝福を教えたいのです。
今年もコロナウィルス感染は収まりそうになく、昨年のように礼拝に皆で集まることができなくなるかもしれません。けれども、どのような状況や境遇にあっても、主はわたしたちと共におられます。わたしたちは、人となって苦難の生涯を歩み、罪と死の支配に勝利した神のみ子に信頼して新しい年も歩みましょう。