毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
ウ小教理の問86はキリスト教信仰について「救いのために、福音において提供されているままに、キリストのみを受け入れ、彼にのみ寄り頼む」とあります。
「福音において提供されているままに」とは、聖書において教えられているとおりに、という意味であることは以前書きました。
キリスト教は啓示の宗教です。漢字の「啓」は、閉じたものをあける、未知なものを明らかにする、教える、導くなどの意味を持っています。啓示とは、神が人に向かってご自分を示し、明らかにするという意味です。キリスト教は、人が神を発見したとか、神について思いを巡らして考えをまとめたものというのではなく、神がご自分とその救いを開示し、わたしたちを救いに招いておられるとの根本原理の上に成り立っています。
旧約の時代には律法や預言者をとおして、新約の時代には神の子イエス・キリストにおいて、その後は、聖書という啓示の書をとおして、神はご自分と救いを啓示しておられます。この意味で、キリスト教は啓示の宗教であるといわれています。
聖書とは、啓示の書であり、わたしたちに語りかける神の生けることばである、これがキリスト教の立場です。それゆえ、聖書が啓示するとおり、神の永遠のみ子が人となった方としてイエス・キリストを信じ、キリストの死と復活がわたしたちを救う神の救いのみ業であることを受け入れること、ここにキリスト教信仰の中心があります。
このように、キリスト教信仰は、聖書が生ける神のことばであるとの認識と、その教え(福音)をよろこんで受け入れることとによって成り立っています。
宗教あるいは信心について、日本人は感性の問題であると考えがちですが、キリスト教信仰の場合には、聖書にしたがって福音を正しく理解することを重んじます。礼拝における説教の意義がここにあります。また、自分で聖書を読むことも重要です。