毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
キリストについて知らなければ、キリストを信じることはできません。知らなければ信じられないのは当たり前のことのようですが、「イワシの頭も信心から」と言われるように、信心があればつまらないものでもありがたいものに見えてくる、ということもあります。木や石、鏡、玉などがご神体となって信心が成り立つ場合も、知ることよりも、森や拝殿などがかもし出す空間に厳かさを感じることが中心であるといえます。
キリスト教信仰は、キリストとは何者で、何を教え、何を行ったのかを知ることによって信仰が成り立つという立場です。キリスト教は、自然の中に神がいる、あるいは自然と神は一体であるという自然宗教ではなく、キリストに信頼して、キリストと共に生きるという、神との人格的な関係において成立する信仰であるからです。
本日の礼拝の中でウ小教理の問86を交読しますが、問86は信仰について扱っています。「イエス・キリストへの信仰とは、何ですか」と問い、「救いのために、福音において提供されているままに、キリストのみを受け入れ、彼にのみ寄り頼む」とあります。
「福音において提供されているままに」とは、聖書が教えるとおりに、ということです。
聖書が教えるキリストについて最も重要なことは、キリストが死んで復活したお方であり、今も生きておられるということです。それゆえ、坂本龍馬のような過去の偉人を尊敬してその生き方にならう、というのとは違います。両親や友人を信頼し、共に支え合い助け合って生きていくということに似た、キリストとの生きた人格的な関係を結ぶということです。
そんな関係がどうしたらできるのかと驚くかもしれませんが、キリストの方から手を差し伸べ、関係を結んでくださいます。その場所が礼拝であり、聖書を読んで祈ることです。キリストは生きておられるのですから、わたしたちに働きかけ、信頼関係を築いてくださいます。