毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
一般に教会において「信じる」という場合、二つの意味があります。
その一つは、プロテスタント教会における大切な教理である「信仰義認」などの教理を信じるという場合です。この場合には、その教理を聖書の真理として受け入れるということです。信仰義認の教理を受け入れることで、救われるために何か良いことをしなければいけないとあせったり、良いことができないと不安にかられたりすることなく、ただイエス・キリストを救い主と信じだけで救われるのだ、という平安をえることができます。
もう一つは、「神を信じる」、「イエス・キリストを信じる」という場合の「信じる」です。この場合の意味は、信仰の対象とするということです。すなわち、イエス・キリストに祈り、賛美をささげ、礼拝をささげるということです。この意味でキリストを信じることがキリスト教でいうところの「信仰」であり「信じる」ということです。
教会を信じるといういい方もありますが、これも教会についての聖書の教えを受け入れるということです。教会は、神がわたしたちを救いに導くために用いるという点では神聖なものであるとしても、教会に祈ったり、礼拝をささげたりするということはありません。それゆえ信仰の対象ではありません。
ある場合に、友人を信じる、お父さんを信じる、といういい方もできます。これは、これまでの人間関係の中で、信頼にたる人であるとわかったので安心でき、信用できるということでしょう。人格的な信頼です。
キリストを信じるという場合も、人格的な信頼という点では似ています。ただし、「これまでの人間関係」に基づくのではありません。聖書(福音)をとおして知らされたキリストへの信頼です。この聖書が教えるキリストを知るために必要なことが教会の礼拝と自分で聖書を読むことです。また、信仰者との交わりも大切です。これらをとおして、過去の偉人ではなく、わたしの人生を導き、救ってくださる生けるお方としてのイエス・キリストへの理解が深まっていきます。