毎週日曜日は礼拝の日
仙台カナン教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる祈祷会(きとうかい=お祈りの会)がおすすめです。
- 日曜日 朝の礼拝
- 午前10時30分~12時00分
- 必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
- 水曜日 祈祷会
- 14時00分から15時30分
- こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。
12月8日(土)にゴスペルコンサートを行いました。Delighted Groovers の皆さんが来てくださり、熱唱してくださいました。心に響く歌声、ありがとうございました。
教会に来て下さった方々60名以上の方々、特に当日初めて足を運んでくださった方々に、心から感謝いたします。
当日コンサートの後、T氏がかつてレストランにも卸していたという、名付けて「エンジェルシフォン」ケーキを出してくださいました。ちょうどケーキの出来上がりをコンサート終了時に合わせるという念の入れようで、皆様大満足でした。ありがとうございました。
以下、コンサートの中での牧師によるクリスマスメッセージです。
「His eyes on me」 吉岡契典牧師
今日は、delighted groovers の皆様の素晴らしい歌声に触れることが出来て、本当に心が、ホカホカとあたたまってくるような、そういう感覚を覚えていますけれども、こういうゴスペルという、生き生きとした音楽を聴くと、なぜ心が温かくなるのか?歌を聴いているだけで、視線が上に向くような、そういう感覚を、私たちがなぜ味わうことが出来るのか?それは、理由のないことではないと思います。というのは、このゴスペルという音楽が出来上がってきた、その成り立ちそのものが、とても深いかたちで、人間の心と本当にここにある魂という部分に深く関わりをもっているからです。
私は、HIP-HOPとか、R&Bとか、ブラックミュージックが大好きなのですけれども、そういう今流行っている音楽も、もともとはこのゴスペルからきた音楽です。
そして、このゴスペルの、さらにそのルーツには、スピリチュアルズ、という黒人霊歌というジャンルがあります。時代は、今から400年前の17世紀にまでさかのぼります。そのころは、黒人の奴隷貿易が公然と行なわれていた時代です。アフリカから、奴隷としてアメリカへ連れてこられた黒人達は、今の私たちにはとても想像できないような抑圧を受けていました。しかし彼らはその中で、皮肉にも抑圧する側の白人が信仰していたキリスト教に触れて、そこに慰めと自由と、そして希望を見出していきました。奴隷であった黒人たちに許されていた活動は、労働すること、そして歌うことぐらいであった、とさえ言われています。黒人同士が会話を交わすことさえも、暴動のきっかけになるからと言って咎められるような、そういう時代です。しかし、そのような激しい抑圧も、彼らが歌うということまでは押さえつけることができませんでした。そして、黒人たちは「歌うことができる」という、小さく、ささやかな自由の中で、その歌の中に、魂を注ぎ出し、思いを託し、そこに抑圧からの自由を見出していったのです。
多くの歌はダブル・ミーニング、様々な二重の、裏の意味を持っていました。表向きは聖書の言葉を歌にして歌いながら、例えば、聖書にも出てくる出エジプト記という部分に書かれている奴隷解放の物語に、自分たちの今の姿をダブらせて、奴隷状態の抑圧からの解放を歌い願ったり、また彼らは畑で労働しながらハミングで歌を伝え合うことによって、それを秘密の礼拝が行われる際の、集合の合図にもしていたそうです。歌は、そこでは、ただの歌ではありませんでした。それは祈りであり、人間らしく生きていることの証しであり、自由への訴え、コミュニケーションのツール、さらにそれは、自分たちが、たとえどんなに深い苦境の中にあっても、神様の愛の中に捉えられているということの、喜びの表明でした。
ゴスペルのルーツになった、スピリチュアルズの歌の中に「His eyes on the Sparrow」という歌があります。これは、聖書の中にあるひとつの言葉、「神様は小さなたった一羽の雀にさえ、目を留めていて下さる。ましてやあなたがたのことはなおさらである。」という言葉から生まれた歌です。今奴隷として、全く無価値なものとして扱われている自分にも、神様のまなざしが注がれている。この人間扱いされていないような自分にも、しかし神様は、かけがえのない価値を置いてくださっている。この事実を黒人たちは聖書から知り、自分が肯定されて、生きていける場所が、この主イエス・キリストという、彼の眼差しの中にこそあると、“His eyes on me”という希望と喜びを、彼らは歌い現わしました。
クリスマスには、みんな「メリークリスマス」と言いますが、メリークリスマスの「メリー」とは、「楽しい、嬉しい」という意味です。そしてクリスマスの何がメリーなのかというと、根本的には、この「His eyes on me」ということだと思います。神様は、文字通り神様として、空の上の高い天国にいて、その遠くから、ただ私たちを見下ろしているだけの、そういう神様ではなかった。神様は天国から身を乗り出して、この地上に降りてきて、今から二千年前に、馬小屋で、人間として生まれてくださった。神様は人間と関係ない神様ではなくて、向こうから降りてきて、私たちのとなりに来てくださる。イエス・キリストは、今からおよそ2000年前のイスラエルにお生まれになりました。それがクリスマスの始まりですけれども、その誕生は、どん底の馬小屋での誕生であり、その第一発見者は、当時でいう世界の果てからやってきた、今のイラクのバグダッド当たりから来た、異国の博士たちでした。つまりその意味は、どんなに遠くにいる人にも、どんなに貧しく、暗いところにいる人にも、この主イエス・キリスト誕生は、届くということ。このクリスマスに関係ない人は、この私たちの中にも、誰もいないということです。
神様の目は、私を捉えていた。神様は、この私の所にも届いてきてくれた。その嬉しさ、喜びが、キリストの誕生に表れている喜び、メリークリスマスの意味です。引き続いて皆様が、このコンサートを通して、His eyes on me , His eyes on you! の楽しさを味わってくだされば嬉しく思います。