飼い葉おけのしるし
- 日付
- 説教
- 橋谷英徳 牧師
- 聖書 ルカによる福音書 2章8節~12節
8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。 ルカによる福音書 2章8節~12節
コロナ禍の厳しい歩みを送るなか、感染の予防に心を配りつつも、こうして今年も、イブの礼拝をささげることができる事をまず感謝したい。どうしてもクリスマス・イブには共に集まりたい、そう願っていました。コロナ禍のなかでも、コロナ禍の只中だからこそ、こうして共に集まりたい、私はそう願ってきました。
どうしてかというと、クリスマスの中で、神が今ここに生きる全世界の人々、ここにいるわたしたちに語りかけておられる大切なメッセージがあるからです。たった今、共にお読みしました聖書の箇所には「これがあなたがたへのしるしである」と語られています。飼い葉桶に寝ておられる乳飲み子、これがわたしたちへのしるし。このしるしは、神がこの世界を、わたしたちを愛しておられる、そのことのしるし!ということです。つまり、神の愛のしるしです。
ここを見ればわかる、ここを見たときにだけわかる!それが神の愛です。
この聖書のことばと合わせて読むべき聖書のことばがあります。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償うい
けにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(1ヨハネ4章10節)。
愛がわかる場所、それはここしかない!でもここと言える場所がある。それがイエス・キリスト。飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子。クリスマスの主題ははっきりしています。それは、「神の愛」です。
今ほどそのことが重要なときはないように思います。多くの人たちが将来に不安を持っています。この先どうなるなんだろうと思っている。いつまで、こんなことが続くのか。辛い、厳しい。神はなぜ、こんな苦難をお与えになったのか。神はおられるのかと思っている人もいるかもしれない。クリスマスどころじゃない、そう思われる方もあるかもしれない。でもそうじゃない、今こそクリスマスなのです。神は言われます「ここを見ろ。ここを見ればわかる」と。
日本に最初に福音が伝えられたとき、宣教師たちが苦労したのは、「神の愛」という事をどういう日本語で伝えるのかという事だったそうです。当時に愛というと、男女の愛のことでしかなく、一種の猥雑なことばでしかなかったのです。愛という言葉を聞くと、みんなくすくすと変な感じで笑っていたわけです。そこで、ある宣教師は、「神の御大切」と訳したそうです。神さまがものすごく、心から大切にしてくださる事だというのです。
外を見回しても、自分の心の内側を見つめて悩んでも、この事、神の御大切、神の愛はわかりません。聖書を通して、神が御子を与えられられた、飼い葉桶の中に寝かせられたそこでこそわかる。そして、この御子は、明るい綺麗なところにきてくださったのではありません。暗くて汚い、飼い葉桶、馬小屋に生まれてくださいました。この飼い葉桶、神が大切に思われた、この世界、わたしたちは罪深い者であります。汚れたものであります。愛される値打ちがあるのではありません。しかし、そこに神が御子をお与えになられた。十字架で罪を贖って、救ってくださるためにそのようにしてくださったのです。