2021年02月25日「祈りについて (6)」
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祈りについて (6)
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- 田村英典 牧師
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詩編 130章1節~8節
聖書の言葉
130:1 主よ、深い淵から私はあなたを呼び求めます。
130:2 主よ、私の声を聞いて下さい。私の願いの声に耳を傾けて下さい。
130:3 主よ、あなたがもし不義に目を留められるなら、主よ、誰が御前に立てるでしょう。
130:4 しかし、あなたが赦して下さる故に、あなたは人に恐れられます。
130:5 私は主を待ち望みます。私の魂は待ち望みます。主の御言葉を私は待ちます。
130:6 私の魂は、夜回りが夜明けを、誠に夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。
130:7 イスラエルよ、主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。
130:8 主は、全ての不義から、イスラエルを贖い出される。
(新改訳聖書2017年度版)詩編 130章1節~8節
メッセージ
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私たちの祈りが真に神に喜ばれ受け入れられるために、今日も祈りについて少しお話致します。
前回は、私たちの祈りの内容と言葉をより豊かなものすることの大切さを話しました。また祈りの言葉において成長する上で、他の人の祈りに学ぶことの大切さに触れ、最後に宗教改革者カルヴァンの祈りを2つご紹介しました。
今日は、聖書の祈りの言葉に親しむことについて少しお話致します。
聖書の祈りの言葉といえば、祈りの宝庫である詩篇をすぐ思います。そこには、聖霊に導かれた実に豊かな祈りの言葉があります。但し、聖書は皆ある歴史的状況の下に書かれていますので、詩篇の言葉も、意味をよく理解しないまま口に上らせるには、困難な場合もあります。詩篇137:9「幸いなことよ。お前の幼子たちを捕え、岩に打ちつける人は」などはその一つです。しかし、歴史的背景とその意味を正しく理解した上であるなら、詩篇から祈りの言葉を実に豊かに教えられます。
一口に祈りといっても、色々な種類があります。サーッと上げても、嘆き、嘆願、祈願、感謝、賛美、賛美への呼び掛け、執り成し、信仰告白、確信の表明、祝福(祝祷)があります。一つの詩篇の中に、これらのいくつかが混ざりつつ展開するものも多く見られます。
いずれにせよ、聖書の言葉を使って祈れることは、私たちを、神と共にある真実な世界に引き入れ、神とより近く親しい関係に私たちを置き、私たちを強めます。
そこで今日は、いくつか詩篇の祈りの言葉を見ます。その目的は、私たちが詩篇の祈りの言葉に親しみ、その言葉によって一層真実に真剣に神に祈る者とされ、聖書の信仰者と共に神の祝福に更に与り、信仰者として成長させられるためです。
例えば、辛い試練の中、苦しみに喘ぎ、また自分の罪を嘆きつつも神を仰ぎ、神の救いの時を期待して待とうとし、そこから信仰の確信に立って、他の信仰者たちの信仰を励ます詩篇130があります。読んでみます。
「主よ、深い淵から私はあなたを呼び求めます。 主よ、私の声を聞いて下さい。私の願いの声に耳を傾けて下さい。 主よ、あなたがもし不義に目を留められるなら、主よ、誰が御前に立てるでしょう。 しかし、あなたが赦して下さる故に、あなたは人に恐れられます。 私は主を待ち望みます。私の魂は待ち望みます。主の御言葉を私は待ちます。 私の魂は、夜回りが夜明けを、誠に夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。 イスラエルよ、主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。 主は、全ての不義から、イスラエルを贖い出される。」
ここの御言葉を部分的にでも心に刻み、自分の言葉にし、そして祈るならば、私たちも同じように信仰の確信を改めて強められ、きっと自分を励まされると思います。
また恥ずべき罪を自分が犯し、その罪責感に苦しみ、罪の赦しと自分が根本から清くされることを心底願う詩篇51があります。その1、2節と7~11節を読みます。
「神よ、私を憐れんで下さい。あなたの恵みに従って。私の背きを拭い去って下さい。あなたの豊かな憐れみによって。私の咎を、私からすっかり洗い去り、私の罪から 私を清めて下さい。/
ヒソプで私の罪を除いて下さい。そうすれば私は清くなります。私を洗って下さい。そうすれば、私は雪よりも白くなります。 楽しみと喜びの声を聞かせて下さい。そうすれば、あなたが砕かれた骨が喜びます。 御顔を私の罪から隠し、私の咎を全て拭い去って下さい。/ 神よ、私に清い心を造り、揺るがない霊を、私の内に新しくして下さい。 私を、あなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を、私から取り去らないで下さい。」
信仰者を攻撃し、押し潰そうとする悪しき者たちの力からの守りを願って、詩篇17:8はこう祈ります。
「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまって下さい。」
詩篇121の御言葉を読んで、今日は終ります。これらの御言葉を少しでも私たちが深く心に記憶し、留め、自分自身の言葉となるまで自分の中で温め、心から祈り、唇で告白しますならば、私たちはどんなに信仰を強められることでしょうか。
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。 私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。/ 主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 見よ、イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 主はあなたを守る方。主はあなたの右手を覆う陰。昼も日があなたを打つことはなく、夜も月があなたを打つことはない。/ 主は全ての災いからあなたを守り、あなたの魂を守られる。 主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」