2021年01月28日「祈りについて (2)」

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祈りについて (2)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 95章1節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

95:1 さあ、【主】に向かって、喜び歌おう。私たちの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
95:2 感謝をもって、御前に進み、賛美をもって、主に喜び叫ぼう。
95:3 まことに【主】は大いなる神。すべての神々にまさって、大いなる王である。
95:4 地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。
95:5 海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も御手が形造った。
95:6 来たれ。ひれ伏し 膝をかがめよう。私たちを造られた方、【主】の御前に、ひざまずこう。
詩編 95章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も祈りについてお話致します。

 前回は、主の日の礼拝を初め、皆を代表して祈る公同の祈りについて、また祈祷会のような場における祈りの心得に触れました。今日は、1人で祈る時のことについてお話します。

 第一は、祈る時の姿勢、体の恰好についてです。これは結構大切なことであり、神を真に畏れ敬う信仰者ならば、自ずとそれは祈りの姿勢にも表れます。

 私たちは椅子に座って祈ることが多いでしょうか。人によっては、布団の上に座ってとか、布団にもぐって祈るかも知れません。いずれにせよ、祈りは基本的には神との対話です。「自分は今神の前にいて、神は私に注目しておられる。」それを意識しますと、不敬虔なふざけた恰好では祈れません。心の襟を正し、神を畏れ、それに相応しい祈りの姿勢を、是非、意識的に選びたいと思います。

 姿勢に関して言いますと、創世17:3が伝えますように、族長のアブラハムは、彼と契約を結んで下さった主の御前(みまえ)に平伏しました。ロトは二人の御使いを見て、創世記19:2「顔を地に付けて伏し拝んだ」、すなわち、額(ぬか)づきました。ネヘミヤ記8:6は、破壊されたままのエルサレム神殿の城壁を再建した時、「民は皆両手を上げながら『アーメン、アーメン』と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した」と伝え、先程お読みしました詩篇95:6は「来たれ。平伏し、膝を屈めよう。私たちを造られた方、主の御前にひざまずこう」と礼拝者に呼びかけます。黙示録11:6は、天上の光景として、24人の長老が神の御前に平伏す姿を伝えます。

 膝を屈め、主の御前にひざまずき、平伏す!額(ぬか)づく!ユダヤ教徒やイスラム教徒はよくそうしますが、私たちもやってみると良いと思います。心の姿勢が本当に低くなります。体の姿勢や形が、実は祈る時の気持に大きな影響を与えることを実感できるでしょう。

 姿勢について尚も言いますと、立って祈ることも大切です。主イエスを家に迎えて喜ぶザアカイは、祈りではありませんが、ルカ19:8が伝えますように、わざわざ立ち上がってイエスに自分の決意を、すなわち、信仰の表明をしました。

 かつて私が宝塚教会の牧師をしていた時、私より年上で信仰の大先輩でもあった長老方は、しばしば男子会の集りや教会修養会などの折に、祈りを担当する時、スッと立ち上がり、姿勢をピシッと正して祈られ、私はその姿勢に教えられたものです。

 大きな二番目に進みます。それは祈る前の心の準備についてです。

 その一つは、すぐに祈らず、暫く沈黙し、心を静め、思いを天に向け、神を仰ぎ、神を想うことです。そして心が神のことで一杯になり、他のことが消えて、主への諸々の感情が自分の内面を大きく占め始めたなら、祈り始めることです。

 また、いきなり願いごとではなく、まず主に感謝し、主を褒め称えることから始めたいですね。ピリピ4:6、7は言います。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもって献げる祈りと願いによって、あなた方の願いごとを神に知って頂きなさい。そうすれば、全ての理解を超えた神の平安が、あなた方の心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」

 二つ目は、神を想う時、一切の良きものの源なる父なる神だけでなく、その右に座しておられる御子イエスを覚え、また私たちを神の神殿として私たちの内に住まわれ、私たちを妬むばかりに愛しておられる御霊なる神を、すなわち、三位一体の神を想うことです。すると、私たちの魂は、この世的、肉的なものから解放され、どんなに自由に神の中を駆け巡り、憩い、賛美できる者となることでしょう。

 三つ目は、祈る前に、自分の心に触れ、あるいは迫り、自分を動かす言葉を読んだり聞いたりしていたならば、そこで教えられ示されたことについて、まず感謝し、そのことに触れた後、祈り始めるのです。心に迫るような体験は誠に尊いことですから、そのままやり過ごしてはなりません。記憶や感動はすぐ薄まります。ですから、その前にそれらにチャンと応答し、その後、他の祈りも献げると良いでしょう。

 大きな第三点に進みます。それは、一人で祈る際にも声を出して祈ることです。特に非常に大事な時には、声に出して祈ると良いと思います。主イエスも十字架の前夜、ゲツセマネで声を出して祈られました(マタイ26:39、42等参照)。ですから、福音書記者たちもそれを記すことが出来たのでした。

 黙祷も、無論、良いです。しかし、口を動かし声に出した自分の祈りを、自分の耳で聞き、確認しながら祈ることも、すごく祝福され、自分が清められ、強められます。

 大きな第四点は、「これは大事だ。祈らなければ」と思った時は、直ちに祈ることです。歩いている時なら立ち止り、運転中なら車を止めて祈る。その時、すぐ祈れる状態でなければ、メモを取る。私たちは忘れ易い者です。しかし、こうすることで、大切な祈りの課題を忘れず、喜んで聞いて下さる神に、私たちは確実に祈りを献げ、お届けすることが出来ます。何と感謝なことでしょう。今日はこれで終ります。

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