聖書の言葉 12:15 喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。ローマの信徒への手紙 12章15節 メッセージ 使徒パウロは、ローマ在住のクリスチャンたちに、12:25「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい」と書きました。ドイツの諺(ことわざ)「共に喜ぶは二倍の喜び、共に悲しむは半分の悲しみ」はこれに基づくそうです。何と大切な教えでしょうか。 ただ、こうであるためには、私たちが人の喜びや悲しみをよく分っていることが、とても大切だと思います。特に泣く者と共に泣くという点で、もう大分前に読んだ本ですが、私は『1リットルの涙』という本に大変教えられました。 これは、知的能力は変らず、しかし運動機能が徐々に失われ、最後は寝たきりとなって亡くなる厚生労働省特定疾患の脊髄小脳変性症のために、1988年、25歳で亡くなった木藤亜也さんの14~20歳の日記、約50冊の中からお母様が抜粋されたものです。病魔に冒される過酷な日々が綴られ、胸が痛みます。少しだけ紹介致します。 15歳…(体が変だという不安の中、夏休みに名古屋大学医学部附属病院で診察を受け、初めて病名を知られます) 「体育の成績。中1=3、中2=2、中3=1。悔しい。努力が足りないのか。」 「涙もろくなっていけない。自分の体が思うように動いてくれない。1日5時間やれば消化できる宿題をさぼったから、焦っているのか。いや違う。体の中で何かが故障し始めているようだ。怖い。」 (大学病院で初めての受診日) 先生頼みます。花ならつぼみの亜也さんの人生を狂わせないように力になって下さい。」 「亜也はよく病気をする。妹弟の倍以上お金を使う子だ。大人になったら、丈夫になったら、その分、楽させて上げます。大事にしてもらった分、うんと親孝行します。」 「時間よ止まれ!亜也の病気も一緒に止まれ。」 16歳…(豊橋東高校に通い出されましたが、病気はどんどん進みます) 「小学生の男の子が傘に入れてくれた。歩調を合わせなくてはと急いだ。途端に前につんのめるようにして転んでしまった。口から血が噴き出し、雨で濡れているアスファルトをみるみる赤く染めた。あんまり出るので、このまま出血多量で死ぬんではないかと思って、この世の泣き納めにワーワー泣いた。角のパン屋のおばさんが飛び出してきて起してくれた。」 「たった3mの幅の廊下が渡れない。人間は精神だけで生きていけないものか。」 「友だちの肩や廊下の壁につかまって歩く私は、上を向くと転ぶのです。」 「神の存在を私は信じる。神は私をお試しになっているのだと思ったら、急に心が晴れ晴れとした。」 (高校2年から養護学校へ転校)「寮母さんと廊下で会う。『おや、(電動)車椅子で行くの。楽チンでいいわね。亜也ちゃん。』胸が詰って息ができなくなるぐらい悔しかった。何が楽チンだ!歩きたいのに、歩けなくなったと苦しんで、苦しみ抜こうとしているのに、好きで車椅子に乗るとでも思っとるんですか!楽したいから車椅子に乗るとでも思っとるんですか。」 18歳…「どの人も『偉いね、亜也ちゃんには感心する』と言うけれど、私はちっとも偉くはないので恥かしい。」 (養護学校を卒業し、ついに在宅療養になる)「くそっ!くそっ!枕に頭を打ち付けた。朝8時から夕方5時までの孤独な時間は、毎日となるとやりきれなく寂しい。」 19歳…「お母さん、私のような醜い者がこの世に生きていても良いのでしょうか。」 「考えると泣けて仕方ない。闇の中でのた打ち回るのが私の人生か。畜生め!19歳が何だ、20歳が何だ、なんて開き直ってみたところで道が開けるわけではない。」 「涙をこらえて『お母さん、もう歩けない。ものに捕まっても立つことができなくなりました』と紙に書いて、戸を少し開けて渡した。顔を見られるのがイヤだったし、母の顔を見るのも辛かったので、急いで戸を閉めた。」 「トイレまで3m這って行く。廊下がひんやりと冷たい。みっともないけど仕方がない。ただ一つの移動手段なんだから。…後ろに人の気配がする。止まって振り向くと母が這っていた。何も言わずに、床にポタポタ涙を落として…。抑えていた感情が一気に噴き出し、大声で泣いた。しっかりと抱いて、泣きたいだけ泣かせてくれた。」 他にも、人の役に立ちたい、人のことを思いやって生きて行きたいなど、多くのことを書いておられます。 繰り返しますが、当時、淀川キリスト教病院でチャプレンをしていた私は、特に「人の苦しみ、悲しみというものを、もっともっと分り、心から一緒に泣くことのできる者にならなければ」ととても強く思わされました。あのむごい十字架に体を釘付けされ、命をお捧げになったどに私たち罪人を憐れみ、私たちの悲しみや不安や絶望感をもお分り下さる神の御子・主イエス・キリストの計り知れない愛を覚え、私自身の感性を更に高められ、辛さの中にある方々に更に寄り添える者にされたいと、今も強く願っております。 最後にもう一度、ローマ人への手紙 12:25をお読み致します。「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。」 関連する説教を探す 2026年の祈祷会 『ローマの信徒への手紙』
使徒パウロは、ローマ在住のクリスチャンたちに、12:25「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい」と書きました。ドイツの諺(ことわざ)「共に喜ぶは二倍の喜び、共に悲しむは半分の悲しみ」はこれに基づくそうです。何と大切な教えでしょうか。
ただ、こうであるためには、私たちが人の喜びや悲しみをよく分っていることが、とても大切だと思います。特に泣く者と共に泣くという点で、もう大分前に読んだ本ですが、私は『1リットルの涙』という本に大変教えられました。
これは、知的能力は変らず、しかし運動機能が徐々に失われ、最後は寝たきりとなって亡くなる厚生労働省特定疾患の脊髄小脳変性症のために、1988年、25歳で亡くなった木藤亜也さんの14~20歳の日記、約50冊の中からお母様が抜粋されたものです。病魔に冒される過酷な日々が綴られ、胸が痛みます。少しだけ紹介致します。
15歳…(体が変だという不安の中、夏休みに名古屋大学医学部附属病院で診察を受け、初めて病名を知られます)
「体育の成績。中1=3、中2=2、中3=1。悔しい。努力が足りないのか。」
「涙もろくなっていけない。自分の体が思うように動いてくれない。1日5時間やれば消化できる宿題をさぼったから、焦っているのか。いや違う。体の中で何かが故障し始めているようだ。怖い。」
(大学病院で初めての受診日) 先生頼みます。花ならつぼみの亜也さんの人生を狂わせないように力になって下さい。」
「亜也はよく病気をする。妹弟の倍以上お金を使う子だ。大人になったら、丈夫になったら、その分、楽させて上げます。大事にしてもらった分、うんと親孝行します。」
「時間よ止まれ!亜也の病気も一緒に止まれ。」
16歳…(豊橋東高校に通い出されましたが、病気はどんどん進みます)
「小学生の男の子が傘に入れてくれた。歩調を合わせなくてはと急いだ。途端に前につんのめるようにして転んでしまった。口から血が噴き出し、雨で濡れているアスファルトをみるみる赤く染めた。あんまり出るので、このまま出血多量で死ぬんではないかと思って、この世の泣き納めにワーワー泣いた。角のパン屋のおばさんが飛び出してきて起してくれた。」
「たった3mの幅の廊下が渡れない。人間は精神だけで生きていけないものか。」
「友だちの肩や廊下の壁につかまって歩く私は、上を向くと転ぶのです。」
「神の存在を私は信じる。神は私をお試しになっているのだと思ったら、急に心が晴れ晴れとした。」
(高校2年から養護学校へ転校)「寮母さんと廊下で会う。『おや、(電動)車椅子で行くの。楽チンでいいわね。亜也ちゃん。』胸が詰って息ができなくなるぐらい悔しかった。何が楽チンだ!歩きたいのに、歩けなくなったと苦しんで、苦しみ抜こうとしているのに、好きで車椅子に乗るとでも思っとるんですか!楽したいから車椅子に乗るとでも思っとるんですか。」
18歳…「どの人も『偉いね、亜也ちゃんには感心する』と言うけれど、私はちっとも偉くはないので恥かしい。」
(養護学校を卒業し、ついに在宅療養になる)「くそっ!くそっ!枕に頭を打ち付けた。朝8時から夕方5時までの孤独な時間は、毎日となるとやりきれなく寂しい。」
19歳…「お母さん、私のような醜い者がこの世に生きていても良いのでしょうか。」
「考えると泣けて仕方ない。闇の中でのた打ち回るのが私の人生か。畜生め!19歳が何だ、20歳が何だ、なんて開き直ってみたところで道が開けるわけではない。」
「涙をこらえて『お母さん、もう歩けない。ものに捕まっても立つことができなくなりました』と紙に書いて、戸を少し開けて渡した。顔を見られるのがイヤだったし、母の顔を見るのも辛かったので、急いで戸を閉めた。」
「トイレまで3m這って行く。廊下がひんやりと冷たい。みっともないけど仕方がない。ただ一つの移動手段なんだから。…後ろに人の気配がする。止まって振り向くと母が這っていた。何も言わずに、床にポタポタ涙を落として…。抑えていた感情が一気に噴き出し、大声で泣いた。しっかりと抱いて、泣きたいだけ泣かせてくれた。」
他にも、人の役に立ちたい、人のことを思いやって生きて行きたいなど、多くのことを書いておられます。
繰り返しますが、当時、淀川キリスト教病院でチャプレンをしていた私は、特に「人の苦しみ、悲しみというものを、もっともっと分り、心から一緒に泣くことのできる者にならなければ」ととても強く思わされました。あのむごい十字架に体を釘付けされ、命をお捧げになったどに私たち罪人を憐れみ、私たちの悲しみや不安や絶望感をもお分り下さる神の御子・主イエス・キリストの計り知れない愛を覚え、私自身の感性を更に高められ、辛さの中にある方々に更に寄り添える者にされたいと、今も強く願っております。
最後にもう一度、ローマ人への手紙 12:25をお読み致します。「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。」