2026年04月26日「神の国に相応しい(ふさわしい)者」
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神の国に相応しい(ふさわしい)者
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マルコによる福音書 10章13節~16節
聖書の言葉
10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子供たちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子供たちを、私のところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。
10:15 まことに、あなた方に言います。子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」
10:16 そしてイエスは子供たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。マルコによる福音書 10章13節~16節
メッセージ
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今年もこのように召天者記念礼拝を持つことができ、神に、またご出席下さったご遺族に心より感謝致します。一時(ひととき)、天に召された方々を覚えてお話させて頂きます。
今朝は「神の国に相応しい者」と題してお話致します。先程お読みしましたマルコの福音書10:13以降をご覧下さい。今から凡そ2千年前のユダヤでの出来事を伝えています。
旧約聖書で約束されていた通り、神の独り子(ひとりご)が全世界の救い主イエスとして世に来られ、父なる神のことと私たち人間の救いを中心とした神の御心(みこころ)をイエスは、言葉と行動を通して人々に示されました。イエスの聖さ(きよさ)と愛と偉大な力を知りますと、13節「イエスに触れていただこうと、人々が子供たちを連れて来」ました。人々は自分の子供に神の祝福を心から願い、子供たちをイエスの許(もと)に連れて来たのでした。親心からです。
ところが、13節「弟子たちは彼らを叱」りました。「彼ら」には、人々と子供たちの両方が入っていると思いますが、どうして彼らを叱ったのでしょうか。
休む間もなく、至る所でイエスが神の大切な御心を人々に教え続け、また病気や障害などに苦しむ大勢の人々の願いに応えて癒しをして来られたため、イエスがひどくお疲れではないかと心配したことが考えられます。
それと、連れて来られた子供たちは、子供らしい感性によって愛に満ちたイエスのお人柄や素晴らしさが分り、すぐイエスを大好きになり、まとわりついてきましたので、弟子たちは彼らをも叱ったのではないかと思います。
しかし、イエスは14、15節「それを見て、憤って弟子たちに言われた。『子供たちを、私の所に来させなさい。邪魔をしてはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなた方に言います。子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。』」そして16節「イエスは子供たちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された」のでした。
子供たちを遠ざけようとしたことに、イエスは憤られました。弟子たちはびっくりし、緊張したと思います。しかしその後、神の御子また救い主として、イエスは子供たちを一人一人優しく抱っこし、彼らの頭に手を置いて祝福されました。その光景は、厳粛でありながらも、笑顔と喜びと感謝に満ちたとても温かいものだったと思います。
こういうことがあったのですが、今朝注目したいのは、イエスが14、15節で「神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなた方に言います。子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」と言われたことです。
「神の国」とは、目には見えませんが、私たちがイエスへの信仰によって罪と不信仰を神に赦され、救われて神の子供とされ、また神を喜ぶことのできる、そういう神の恵みに満ちた状態を指します。それはイエスがこの世に来られた時に始まっていました。しかし、これだけではありません。
「神の国」とは、繰り返しますが、イエスへの信仰により救われた人がこの世に生きている間も祝福を受ける状態を指しますが、それと共に、死んだ後、一切の労苦や痛みや涙から解放される最高の祝福の状態、つまり、神が共におられる天国をも指し、その両方と考えて良いでしょう。
大切なことは、どういう人がこの世でも神の国の祝福に与り、また地上の生涯を終えた後、神の国・天国に入れられるのに相応しいのかという点です。どういう人でしょうか。
イエスは言われます。14節「神の国はこのような者たちのもの」だと。そして15節「子供のように神の国を受け入れる者」だと。要するに、子供のような信仰者だということです。
では、「子供のような」とはどういう意味でしょうか。
しばしば子供は全く純粋で罪がないと言われますが、それは違います。私たちにも分ると思いますが、聖書が指摘するように、子供にも生れながらに罪の性質があります。これをキリスト教では「現罪」呼びます。ですから、親は決して教えませんのに、幼い子供も自分より弱い者を虐めたり、意地悪をし、人をののしり、嘘をつき、人の物を奪い、人を叩きます。
とはいえ、大人と比べますと、子供にはとても良い部分が見られます。一言(ひとこと)で言って、素直なことです。
例えば、第一に、子供は自分の弱さ、小ささを体で分っていますので、注意されたりしますと、素直に大人しくしている点があります。
大人はしばしば自分の強さや賢さを人の前で見せ、自分を誇示し、そのために却って自分を人格的に低め、自分を駄目にしていることがよくあります。しかし、子供は、いくら頑張っても大人の方が物事をよく知り、強いことも、よく分っています。ですから、少々強がってみても、あとは素直に大人しく静かにしていることがよくあります。
第二に、素直に親や大人に従います。つまり従順という点も子供にはあります。
時には親や周りの大人に反抗的になることもありますが、しっかり向き合ってよく説明してやりますと、まだ十分には分らなくても素直に従う従順さという点が、子供にはあります。
第三に、素直に親を信頼するという点もあります。
周囲がどんなに騒がしくても、子供は親に信頼し、いつ、どこででも親のそばや腕の中でスヤスヤ眠れます。知らない旅行先にも、親が必ず自分を連れて行ってくれることを、信じて全く疑いません。それは見事なものですね。
そこで思うのですが、私たちより先に天の国、神の国に召された方々も、子供のような素直さが皆、おありだったのではないでしょうか。
今、二階の納骨棚には、2000年7月4日、81歳で亡くなったSHさん、2016年4月28日、68歳で亡くなったWNさん、2024年3月24日、84歳で亡くなったHIさん、昨年の7月3日、69歳8か月で亡くなったMSさんのお骨が納められています。生前には夫々、置かれたところで、皆、一生懸命誠実に歩まれ、その人らしい個性もありました。
例えば、WNさんは、若い頃、ミャンマーで日本の医療ボランティアティームの栄養士として働かれ、それぐらい熱い志を持った強くてしっかりした方でした。晩年は病気のために厳しい状態でした。けれども、日曜日には病院からこの教会の礼拝に通われ、讃美歌21の227番「主の真理(まこと)は」がお好きで大切にされ、まさに子供のように素直で、感謝を忘れない温かい方だったと聞いています。
HIさんは、再生不良性貧血で13年間も苦しまれ、最後には急性骨髄性白血病も加わって、なかなか辛い晩年でいらっしゃいました。けれども、幼い頃は自ら教会へ行かれ、結婚後は幼い娘さんたちを教会に通わせられた彼女は、幼子のように素直に神を受け入れ仰ぐ生涯を静かに歩まれ、亡くなるふた月前に、この教会堂で洗礼を受けられました。
昨年、天に召されたMSさんの生涯は壮絶なものだったと言えます。働き盛りの55歳の時、ALSと呼ばれる筋委縮性側索硬化症を発症され、症状が徐々に進み、体の辛さと不安と恐怖も増していく中、14年と3か月以上、何とよく耐えられたでしょうか。仕事もよくおできになり、その分、理屈っぽい所もあったかも知れませんが、天地の造り主なる真(まこと)の神とその独り子・救い主イエス・キリストに対しては、まことに素直な方でした。讃美歌21-361がお好きであり、そこに彼の信仰がよく表れていると思います。
また、ここに納骨されてはいませんが、KYさんは2018年2月10日、94歳で天国に召されました。私はお会いしたことがありませんが、認知症になられましても常に讃美歌を口ずさんでおられたそうで、やはり幼子のように素直な信仰者でいらっしゃいました。
これらの方々にも夫々個性があり、またここにいる私たちと同じように、欠点のない人はいません。
けれども、万物を造られた絶対者なる真(まこと)の神と、私たちの罪を全部背負って十字架で命を捧げ、復活して永遠の救い主となって下さいました神の御子イエス・キリストに対しては、まさしく子供のように素直であられたと思います。
またそこから、他の人に対しても、気遣いや優しさ、思いやり、つまり、イエスがお教えになります隣人愛というものも見られたのだと思います。これは何と尊いことでしょう。
こういう意味で、天に召される前にお一人一人が、神の恵みにより、神の国に相応しい者に変えられておられたと思います。そのことを私たちも改めて心に深くとめ、彼らのことで喜び感謝すると共に、私たち自身も神の恵みにより、神の前に子供のような素直な者にさせて頂きたいと思います。そうして、やがて私たちも主イエス・キリストによって天に召され、天の御国において彼らと再会し、思いっ切りハグし合えることを、是非、主に許されたいと思います。