2026年03月26日「ここに希望がある 9 神が共にいて下さる 2」

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ここに希望がある 9 神が共にいて下さる 2

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 23章1節~4節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:1 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます。
23:3 主は私の魂を生き返らせ、御名の故に、私を義の道に導かれます。
23:4 たとえ、幸せの陰の谷を歩むとしても、私は災いを恐れません。あなたが共におられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。詩編 23章1節~4節

原稿のアイコンメッセージ

 希望について続けて学んでいます。前回は、人間の孤独の問題を取り上げ、しかし、ある信仰者が、神と自分を羊飼いと羊に喩えて歌った詩篇23から、ご自分を信じ頼る者と、神が必ず共にいて下さるという希望を学びました。

 今日は、心から神に信頼し、神に従おうと思っている人の魂は、何があっても神が必ずお守り下さるという希望のあることを学びたいと思います。

 羊は頑固ですが、弱い動物です。目が悪いために時々判断を誤り、また体のわりに足が弱いです。私は55年前の夏、ニュージーランドに2ヶ月いましたが、放牧された羊がちょっとした穴や僅かな段差のある窪地で死んでいるのを、列車の窓から時々見ました。

 しかし、そんな弱い羊でも、羊飼いが一緒なら安心です。羊飼いにとって、自分の羊がいなくなって死ぬことは不名誉ですし、何より羊を愛しています。ですから、迷い出た羊を捜し出し、安全な所に導きます。そこで、神と自分を羊飼いと羊に喩えて、詩篇23:3は歌います。「主は私の魂を生き返らせ、御名の故に、私を義の道に導かれます」と。

 主イエスはルカの福音書15:4以降で次の例え話をされました。「あなた方の内の誰かが羊を百匹持っていて、その内の一匹をなくしたら、その人は99匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、喜んで羊を肩に担ぎ、家に戻って、友だちや近所の人たちを呼び集め、『一緒に喜んで下さい。いなくなった羊を見つけましたから』と言うでしょう。」

 主イエスを信じる私たちが、つい信仰の弱さから迷い出ても、憐れみ深い主が羊飼いのように私たちを連れ戻し、それを主はご自分の大きな喜びとされ、永遠の滅びから守って下さるのです。何と感謝なことでしょう。

 主は様々な危険から信仰者の魂をお守り下さいます。詩篇23:4は「たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私は災いを恐れません。あなたが共におられますから」と歌います。石灰岩の多いユダヤには、大きな川は少ないですのですが、所々に深い谷があり、暗い陰の所に野獣が隠れていて、危険です。しかし、羊飼いが一緒なら安心です。羊飼いは鞭や杖で野獣を撃退し、羊が言う事を聞かない時は、鞭や杖で羊を従わせ、守られるからです。

 私たちには、危険な死の陰の谷となるものは色々あります。しかし、その最大のものは、やはり死そのものでしょう。けれども、主イエスを信じる人は、死の時も決してひとりぼっちではありません。主イエスが、ご自分に頼る者と必ず共におられ、魂をぎゅっと守られるからです。ご自分の子らの魂が滅びることを、神は決してお許しになりません。ご自分の名誉のためにも守られます。

 キリスト教という宗教的背景のない日本では、よく緑の庭や野鳥などの自然環境を整え、死を間近にした終末期の人の心を慰めて精神介護をしたりします。しかし、東京都小金井市にあります桜町病院ホスピスで長く働かれた山崎章郎医師はこれに反対されます。そういうものでは肩代り出来ず、人は人との信頼と共感の中でのみ死の恐れを乗り越えられるからだと言われます。興味深い発言ですね。

 私たちが家族や友人や医療従事者との信頼と共感の中で精神的荒廃に至らず、死という人生最大の危機をより平安に安心して迎えられるとするなら、まして、死の手前でも死の向う側でも、私たちを無限・永遠・不変の愛で愛しておられる全知全能の神が、また主イエス・キリストが共におられ、喜んで私たちを肩に担ぎ、背負って下さることを知っているなら、どんなに安心でしょうか。

 こういう神の守りを知っていた使徒パウロは、ローマ人への手紙 8:38以降で言います。「私はこう確信しています。死も、命も、御使い(みつかい)たちも、支配者たちも、今あるものも、後(のち)に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 詩篇23:4は歌います。「たとえ死の陰の谷を歩むとしても、私は災いを恐れません。あなたが共におられますから。」

 死は私たちにとって未知の体験です。どんなことになるのか分かりません。でも、心配する必要はありません!私たちを罪から贖うために十字架で命を捧げて下さった神の独り子・イエス・キリストは、私たち人間の死をも体験して下さいました。ですから、死をよくご存じです。しかも、十字架の死から復活されたその絶大な力をもって、ご自分を信じる者と必ず共にいて下さり、信仰者の魂を守り、助けて下さるのです。ヘブル人への手紙2:18は言います。「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」

 これは何という励まし、慰め、そして希望でしょうか!

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