2026年01月08日「私はイエス・キリストのもの」
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私はイエス・キリストのもの
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- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
イザヤ書 43章1節~2節
聖書の言葉
43:1 だが今、主はこう言われる。
ヤコブよ、あなたを創造した方、
イスラエルよ、あなたを形造った方が。
「恐れるな。私があなたを贖ったからだ。
私はあなたの名を呼んだ。
あなたは、私のもの。
43:2 あなたが水の中を過ぎる時も、
私はあなたと共にいる。
川を渡る時も、
あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、
あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。イザヤ書 43章1節~2節
メッセージ
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イザヤ書43:1の6行目で、神は昔、イスラエルの信仰者にこう言われました。「あなたは、私のもの。」彼らは、万物を造られ、その全てを保持し、統治し、導かれる神のもの、神の所有ということです。
実はこれは今年の当教会の標語「キリストのうちに共に生きる」とも関係があります。「キリストのうちに」はキリストに「結び付いて」という意味であることは、1月4日の礼拝説教で触れましたが、これには「キリストのもの、キリストに所有されている」という意味もあります。
私たちの幸せの一つに、自分が何かを持ち、所有することがあると思います。
1954年(昭和29)に小学校に入った私の少年時代は、まだ日本全体が貧しい時でした。それでも、私の家より裕福な家は沢山あり、子供用の野球のグローブや子供用の自転車を親に買ってもらい、それを使っていた友だちは何人もいました。
しかし私は、グローブはいつも友だちに借り、自転車は家の大人用の中古品に乗っていました。少し恥ずかしかったですが、家の経済状態を知っていましたので、親にねだることもできず、黙って辛抱していました。
ですから、安い物でしたが父にグローブを買ってもらい、小学校6年生の時、やっと自分の自転車を買ってもらった時は、どんなに嬉しかったでしょう。よく掃除をし、いつもピカピカに磨いていました。自分のものを所有できる喜びは、大きいですね。
しかし、自分が何かを持つ喜びや幸せと共に、自分が誰かのものであるという喜び、幸せも大変大きいと思います。
私の子供の頃、家では犬を飼っていました。体も小さく、どちらかというと弱い犬でしたが、面白いことに、散歩に行った時など私が一緒ですと落ち着いていて、少し強気になって大きな犬にも吠えて向って行きました。飼い主、所有者が一緒だと、弱い犬も落ち着き、強くなれることを知り、私はこれを興味深く思ったことを覚えています。
このことは私たち人間にも当てはまるのではないかと思います。自分が誰かのもの、誰かの所有だというと、不自由とか束縛されているという思いがまず浮かぶでしょう。しかし、本当はそれだけでなく、自分が誰かのものである故の大きな平安や落ち着きといった幸せもあるように思います。特に自分が心から尊敬し、あるいは私たちを愛してくれている大好きな人のものであるなら、どんなに嬉しく、幸せでしょうか!
幼い子供は、いくら強がっていても、親から離れるとひどく不安になります。しかし、親に手を堅く握られ、ギュッと抱かれているなら、平安です。元気も出ます。安心して眠れます。人間の親子でもそうであるなら、ましてや天地万物を造られ、今も全てを支配しておられる全知全能の真(まこと)の神に私たちが所有され、私たちがもはや頼りない自分自身のものではなく、永遠に神のものであるなら、どんなに安心でしょうか。
特に、罪と永遠の死から私たちを救い、永遠の命を与えるために人となられ、十字架で命を献げ、復活され、私たちのために永遠に生きておられ、髪の毛一本勝手に私たちから落ちることも許さず、サタンより強く、私たちの生も死も最終的に一番良いように導いて下さる神の御子イエス・キリストの所有であるなら、どんなに幸せでしょうか。
いつ殺されるかも知れない緊迫した16世紀の宗教改革時代、プロテスタントの神学者たちは1563年、ハイデルベルク信仰問答を作りました。その問1が今言いましたまさにその幸せを告白していますので、読んでみます。
問1「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」
答「私が私自身のものではなく、
体も魂も、生きるにも死ぬにも、
私の真実な救い主
イエス・キリストのものであることです。
この方は御自身の尊い血をもって
私たちの全ての罪を完全に償い、
悪魔のあらゆる力から私を解放して下さいました。
また、天にいます私の父の御旨でなければ、
髪の毛1本も落ちることができないほどに、私を守っていて下さいます。
実に万事が私の救いのために働くのです。
そうしてまた、御自身の聖霊により私に永遠の命を保証し、
今から後この方のために生きることを心から喜び、
またそれに相応しくなるように、
整えても下さるのです。」
主イエス・キリストを救い主と信じ、受け入れ、依り頼むとは、私たちのために命を捧げ、復活され、今天と地の一切の権能を授かっておられるイエス・キリストに結ばれ、キリストに私たちが所有され、永遠に神の子供にならせて頂くことでもあります。この幸せを今年も常に覚え、主に感謝し、共に強く雄々しく歩むことを許されたいと思います。
イザヤ書43:1、2をもう一度読んで終ります。
「だが今、主はこう言われる。
ヤコブよ、あなたを創造した方、
イスラエルよ、あなたを形造った方が。
『恐れるな。私があなたを贖ったからだ。
私はあなたの名を呼んだ。
あなたは、私のもの。
あなたが水の中を過ぎる時も、
私はあなたと共にいる。
川を渡る時も、
あなたは押し流されず、
火の中を歩いても、
あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない。』