2025年11月02日「結婚を巡って」
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結婚を巡って
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- 田村英典 牧師
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マタイによる福音書 19章1節~12節
聖書の言葉
19: 1 イエスはこれらの話を終えると、ガリラヤを去り、ヨルダンの川向うを経てユダヤ地方へ入られた。
19: 2 すると大勢の群衆がついて来たので、その場で彼らを癒された。
19: 3 パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法に適っているでしょうか。」
19: 4 イエスは答えられた。「あなた方は読んだことがないのですか。創造者ははじまの時から『男と女に彼らを創造』されました。
19: 5 そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となるのである』と言われました。
19: 6 ですから、彼らはもはや二人ではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が離してはなりません。」
19: 7 彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」
19: 8 イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなた方の心が頑ななので、あなた方に妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。
19: 9 あなた方に言います。誰でも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」
19:10 弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」
19:11 しかし、イエスは言われた。「その言葉は、誰もが受け入れられるものではありません。ただ、それが許されている人だけができるのです。
19:12 母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たいもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」マタイによる福音書 19章1節~12節
メッセージ
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今朝のマタイの福音書19:1~12では、とても大切な<結婚を巡って>の主イエスの教えが見られます。私たちも心して主の教えをよく学びたいと思います。
1節が伝えますように、イエスは北のガリラヤを去り、「ヨルダンの川向う」、すなわち、ヨルダン川の東側を南へ下り、また再び川を渡って西のユダヤ地方へ入られました。すると、2節「大勢の群衆がついて来たので」、イエスは「その場で彼らを癒され」ました。淡々と書かれていますが、ここにもイエスの温かい愛が見られます。
ところが、ここに割り込むように、普段からイエスに敵対していたパリサイ人たちが来て、イエスを試みるために言いました。3節「何か理由があれば、妻と離縁することは律法に適っているでしょうか。」
彼らは以前、イエスが離婚を良くないものとして教えておられたことを知っていて、質問したのでした。彼らの意図を知りつつ、イエスは創世記1、2章に基づいて答えられます。4~6節「あなた方は読んだことがないのですか。創造者は初めの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それ故、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、二人は一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはや二人ではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」
これは既にマタイ5:31、32でイエスが語られた内容と同じであり、イエスはまず最初に、結婚の重要性を確認されます。それを三つの点でイエスはお教えになります。
第一に、「創造者は」と言われるように、結婚は人間が便宜的に作った制度ではなく、神が定められ、神に起源を持つ神的制度なのですから、人間は離婚を決して軽々しく考えてはなりません。
第二に、結婚した二人は別の人格ではあっても、神の摂理の下で結び合わされ、「一体」とされたのですから、人間は安易に結婚を解消し、一体性を壊してはなりません。
第三に、結婚には夫と妻の人格的成長と完成という重要な目的もありますから、これを重んじるべきなのです。この点を少し説明致します。
5節でイエスは創世記2:24を引用し、「男は父と母を離れ、その妻と結ばれ」と言われます。「父と母を離れ」るとは、人はいつまでも親に支配され、あるいは親に守られ、親に依存するのではなく、独立した人格として生き、生涯を通じて全人格的に神の前で成長し、完成する責任があるということなのです。
そして「妻と結ばれ」とありますように、夫も妻も結婚関係の中で互いに学び合い、赦し合い、助け合って、双方が人格的に成長し、完成させられるという大切な目的が結婚にはあるのです。
実際、結婚により、人は自分勝手な考え方や生き方、また自我を砕かれ、尖った部分を削られ、視野を広げられ、相手に仕え、相手を労わり、相手を愛することを、どんなに教えられ、人格を清められ、高められることでしょうか。
以上、まず結婚の重要性を確認しました。そこで次に教えられるのは離婚についてです。
パリサイ人たちはイエスに言います。7節「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」彼らは申命記24:1以降の御言葉を念頭に置き、つまり、神はモーセを通して離婚について教えておられるのに、何故離婚してはならないのか、とイエスに反論しました。
イエスはお答えになります。8節「モーセは、あなた方の心が頑ななので、あなた方に妻を離縁することを許したのです。しかし、初めの時からそうだったのではありません。」
ここは説明の必要がないでしょう。人間が罪深く、頑ななため、神は離婚を許されただけであり、また離婚の際には離縁状を渡し、決して無責任に妻を放り出してはならないということです。離婚を軽く考え、男が何でも難癖を妻につけては、好き勝手にできた古代社会全体の中で、これは女性を尊ぶ画期的なものでした。
しかし、基本は十戒の第七戒を破る姦淫の罪以外の理由で離婚してはならないのであり、イエスはこの点を確認されます。9節「あなた方に言います。誰でも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」やはり、安易な離婚は許されません。
但し、この罪の世では離婚がやむを得ない場合もあります。現にパウロは旧約聖書と主イエスの教えをよく知りつつも、Ⅰコリント7:15でこう教えました。「信者でない方の者が離れていくなら、離れて行かせなさい。」すなわち、相手が宗教的・信仰的理由で離れていくなら、仕方がないと。しかしながら、こちらから別れるのではありません。直前の7:12、13でパウロは、相手が私たちと一緒に生活したいと思っているなら、離婚してはならないと教えます。
では、別れざるを得ず、別れた方が良いと思われる場合は、他にないでしょうか。以前、マタイ5:31、32の説教で触れましたが、少しお話致します。
それは双方が、あるいは片方が、そしてまた子供もあまりにもひどく傷つき、不幸になる場合です。
十戒に照らして言いますと、まず第6戒「殺してはならない」と関係する時があります。すなわち、配偶者や子供に対し、身体的暴力とか人格を破壊する常習的なひどい侮辱や言葉の暴力のある時です。暴力は体と心、人格を破壊するとても危険なものです。
また十戒の第7戒を破る姦淫は勿論ですが、性的な異常性や暴力の場合も考えられます。ただ、これは心の病が絡んでいることがあり、専門家による治療が先かも知れません。
さらに、第8戒に関りますが、自分では全く働こうとせず、配偶者やその親族の物を盗むとか、経済的に生命と人格を脅かす場合が考えられます。
また第9戒に関りますが、ひどい嘘を平気でつき、配偶者の人格をズタズタに傷つけ破壊するなら、別れることもやむを得ないと思われます。しかし、これも心の病が絡んでいることがあり、すぐ離婚うんぬんではなく、専門家や第三者と先に相談することが良いでしょう。
こうして例外はありますが、基本的に離婚はしてはならず、話し合いを重ね、和解する努力を神は私たちに求めておられます。このことをよく心に留めておきたいと思います。
そこで、最後に大きな三番目として、独身で生きるという点についても、イエスにお聞きしたいと思います。
以上の話を聞いている内に、弟子の中のある者たちはイエスに言いました。10節「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しない方がましです。」
結婚をもっと軽く考えていたのに、神の前にそれほど責任があるのなら、独身の方がいい、ということでしょう。
これに対し、イエスは、独身も軽く考えてはならないと教えられます。11節「その言葉は、誰もが受け入れられるわけではありません。ただ、それが許されている(つまり、神から許されている)人だけができるのです。」
そして三つの場合を12節で語られます。
第一は「母の胎から独身者として生まれた人」、つまり、先天的に特に身体的に結婚が無理な人であり、第二は「人から独身者にさせられた人」です。昔、宮廷に仕えた宦官がそうでした。第三は「天の御国のために(すなわち、神と教会に仕えることに専念するために)、自分から独身者になった人」です。
でも、これには大きな覚悟と決意が必要です。ですから、イエスは言われました。12節「それを受け入れることができる人は、受け入れなさい」と。
パリサイ人たちの質問から始まりましたが、今朝、私たちは、神が与えられたとても大切な制度である結婚を巡って、主イエスの教えを学びました。
結婚は、人間が自分たちのために、便宜上、作った制度などではなく、神ご自身の設けられた神的な制度であり、とても大切なものですので、結婚には重い責任が伴います。しかし、同時に、結婚には大いなる祝福がありますから、その点もよく覚えたいと思います。
それと共に、離婚や独身で生きることについても聖書としっかりよく対話し、最終的には、神と人により良く仕え、Ⅰコリント10:31が「食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光が現すために」と教えますように、「神の栄光を現せるかどうか」をこそ、最も大切な判断規準としたいと思います。