2025年10月22日「人の生きる目的 3」

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10:31 こういうわけで、あなた方は、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。コリントの信徒への手紙一 10章31節

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 ここ暫く私たちは、人の生きる目的という大切なことを確認しています。

 これは、この世界と私たち人間を造られた神に聞かなければ分らず、神の御言葉・聖書が、人の究極の目的はⅠコリント10:31が「食べるにも飲むも、何をするにも、全て神の栄光を現すためにしなさい」と言うように、神の栄光を現すことにあることを見てきました。

 クリスチャンでない方は、当然、これに納得できないでしょう。しかし、神の栄光を現すとは、決して人間の幸せや喜びを無視することではなく、むしろ最も幸せで光栄あることも、前回、見ました。

 近年の日本人の中には、アパシー(色々な事に無関心)とミーイズム(自分勝手主義)が深く浸透していると言われてから、もう大分経ちます。造り主なる真(まこと)の神から遠く離れ、ただ経済優先、能率主義、欲求本位、個人主義で突っ走ってきた結果ですが、ここには深い喜びも満足も感謝もありません。しかも、人はいつか死にます。自己本位に生きた人が、死後、神の前に立つ時、どうなるかは火を見るよりも明らかです。

 それに比べ、神の前に自己中心の罪と不信仰を悔い改め、救い主なる神の御子イエスを信じ受け入れ、聖書を通して絶えず主イエスに教えられ、神の栄光のために、言い換えれば、神に喜ばれるように生きる人は、何と幸いでしょうか。

 神の栄光のために生きるとは、元々神が私たちを愛するが故に「こう生きなさい」と教えられた神の清い御心(みこころ)に生きることに他なりません。そしてその中心は、私たちを罪と滅びから救うために御子を賜ったほどに私たちを愛しておられる神を愛し、神を称え(たたえ)、神に従い、また自分を愛するように人を愛し、人に仕えることです。愛するとは、大切にすることです。更に言いますと、あらゆる点で神に感謝し、栄光を神に帰することです。まさに「食べるにも飲むも、何をするにも、全て」においてです。

 これは本当の意味で幸せです。第一に、これは私たち人間の本性にピッタリ合っているからです。人は元々そう造られているのです。ですから、人のために心から良いことができた時や、神の愛に促されて人を心から赦すことができた時などは、何とも言えない清い喜びや心の充足、平安があります。それは、ずるく立ち回ったり、イヤなことから巧く逃げたり、他人に対して怒り散らしている時のような気分とは、比較になりません。

 第二に、この目的は救い主イエス・キリストを心から信じ、イエスと共に歩もうと思っている人なら、誰でもその人なりに果たせるから、幸いです。

 楽器は夫々固有の音を出せば良いのであり、太鼓がヴァイオリンの音を出す必要はなく、ヴァイオリンもピアノの音を出す必要はありません。私たちも、無理をして人と同じでなければならない理由はありません。神から自分に与えられている良いものを誠実に用いて、自分なりに神の栄光を現せば良いのです。それは実際、誰にでもできることです。

 第三に、これは私たちの一生を傾けられますので、幸いです。

 人生には、入学や就職などその時々に、何かを獲得し、達成するなど、色々大切な目的があります。しかし、それらには当然ながら、いつしか色褪せ、空しくなってしまうものもたくさんあります。若い時は夢中になれても、歳と共に興味が失せ、熱が冷め、もう追いかけられなくなる楽しみもあります。

 しかし、神の栄光を現すというこの目的は、一生をかけても尽きない豊かなものです。私たちは、神の御子イエス・キリストを通しての神の赦しと愛を覚え、それに生かされながら、この尊い目的を覚え、身体的には何もできなくなっても、それこそ最後の息を引き取る時まで、愛と感謝と祈りの中で生きることで神の栄光を現せます。こんな素晴らしいものが他にあるでしょうか。

 第四に、この目的は空しくないから、つまり、必ず報われますから、幸いです。

 確かに神の栄光のために、従って、神に喜ばれるように一生懸命生きても、私たちのできることは本当に僅かで、人の目には全然留まらないこともあります。また神の栄光のために生きて、却ってこの世で苦しみを味わうこともあります。

 しかし、隠れたことも見ておられる天の神は全てをご存じです。何より私たちの心をご覧になり、特に私たちの労苦と努力、祈りと涙に目を留め、深く慈しみ、喜んで受け入れ、必ず永遠に報いて下さいます。ヨハネは言いました。黙示録14:13「また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。『書き記せ、「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである」と。』御霊も言われる。『然り。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らと共について行くからである。』」

 第五に、これは結局私たちの人格を神の作品として最も清く美しく完成するから、幸いです。

 人は何のために生きるのか。神を静かに仰ぎ、神に祈り、信仰に立って、ご一緒に歩んで行きたいと思います。

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