2025年05月18日「イエスをキリストと告白する」
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イエスをキリストと告白する
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- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 16章13節~20節
聖書の言葉
16:13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれた時、イエスは弟子たちに「人々は人の子を誰だと言っていますか」とお尋ねになった。
16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だと言っています。」
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなた方は、私を誰だと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられる私の父です。
16:18 そこで、私もあなたに言います。あなたはペテロです。私はこの岩の上に、私の教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
16:19 私はあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
16:20 その時イエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることを誰にも言ってはならない、と命じられた。マタイによる福音書 16章13節~20節
メッセージ
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16:13~20は、マタイ福音書の中のクライマックスだとよく言われます。弟子たちの代表であるペテロが主イエスに対し、16節「あなたは生ける神の子キリストです」と大変重要な信仰告白をし、また21節から分りますように、これ以降、イエスは十字架の苦難と死に向ってひたすら歩まれるからです。
イエスは、16節のような信仰告白ができる所まで弟子たちを教育され、その事実を踏まえて、今後はご自分の重大な使命である十字架へと向われ、私たち罪人の救いのために父なる神のご計画を完成されるのです。
そこで、今朝は特に16節にありますペテロの信仰告白を中心に学びたいと思います。
まず教えられることは、キリスト教会とクリスチャンは、置かれた状況の下で、信仰を告白し続けるものであるということです。
イエスは、ご自分から弟子たちに13節「人々は人の子(=イエスご自身のこと)を誰だと言っていますか」とお尋ねになり、更に15節「あなた方は、私を誰だと言いますか」と問われました。つまり、イエスご自身が彼らに信仰告白をさせられたのでした。
そこで少しこの時の状況を見ておきます。場所は13節「ピリポ・カイサリア」、すなわち、ガリラヤ湖の約40km北にあります美しい所であり、険しい山の下から泉が湧き出てヨルダン川となり、南へ流れていました。
しかし、ここはギリシア文化の影響を受けて偶像崇拝が盛んであり、パンと呼ばれるギリシア神話の森や牧童の神、それとニンフと呼ばれる川や泉や洞窟の精霊が祀られていました。
それとここは悪名高いヘロデ大王がローマ皇帝カイサルからもらった土地であり、ヘロデは神殿を建てました。その息子ピリポは、カイサルにちなんでここをカイサリアと名付け、しかし、地中海沿岸にあるカイサリアと区別するために自分の名前をくっつけ、「ピリポ・カイサリア」と呼びました。
要するに、ここは風光明媚な所でしたが、偶像礼拝に満ち、ローマ皇帝を拝む皇帝礼拝の土地でもありました。自然崇拝、偶像礼拝、人間崇拝の盛んな所で、真(まこと)の神から遠く離れた状況にあったと言えます。こういう状況の中、イエスは、ご自分のことを人々は誰だと言っているのかとお尋ねになり、彼らに信仰を告白させられたのでした。
話を戻します。大事なことは、キリスト教会とクリスチャンは主イエスに促され、置かれた状況の下で、信仰告白をし続けるということです。ですから、正統的な教会は歴史の中の色々な状況で信仰告白をして来ました。使徒信条、ニカイア信条、アタナシウス信条、カルケドン信条という四つの世界公同信条は勿論のこと、プロテスタント教会、特に改革派教会は、ジュネーヴ教会信仰問答、フランス信条、スコットランド信条、ハイデルベルク信仰問答、ウェストミンスター信条、そしてヒトラーの独裁政権が生れた危険な中、1934年にドイツではバルメン宣言を出したのでした。日本の改革派教会も10年毎に信仰の宣言を出し、それらを土台にして、いつか私たち自身の信仰告白をしようとしているのです。
イエスは私たちに、置かれた状況の中、常に「あなたは真(まこと)の神を、また私を誰だと言うのか」と問うておられます。クリスチャンと教会は、その時の社会や世界状況をも踏まえ、「私は、私たちは、こう信じます。こう生きます」と信仰を告白しつつ、地上の歩みを続けるのです。このことを改めて深く心に刻みたいと思います。
さて、イエスはまず弟子たちの考えではなく、「人々」はご自分をどう言っているのかと尋ねられました。四つ答がありました。一つ目は、イエスはバプテスマのヨハネだというものです。イエスの先駆者であったバプテスマのヨハネは、既にヘロデに殺されていましたが、14章の初めが伝えますように、ヘロデ自身、イエスをバプテスマのヨハネの甦りだと考え、恐れていました。二つ目は旧約時代の紀元前9世紀に、偶像礼拝をする人たちと非常に厳しい戦いをした預言者エリヤの甦りだというものです。三つ目は紀元前7~6世紀に活動しました苦難の預言者エレミヤだとするもの、そして四つ目は昔の偉大な預言者の一人が復活したというものでした。
こうして、一般のユダヤ人は、イエスを世の終りに現れる偉 大な人物と認め、終末的危機感を持っていたとは言えるでしょう。それにも関らず、彼らはイエスを旧約聖書が預言し約束していた神からの救い主キリストとは考えませんでした。その上、実はイエスをローマ帝国からの政治的、軍事的解放者として期待したり、また単に病気の癒しや自分たちのお腹の満たしをイエスに大いに期待した人も大勢いました。イエスは多くの奇跡により神の力を示され、また神のきよい御心を色々な点から丁寧に教えて来られたのにも関らず、彼らの殆どはそれらに魂を動かされませんでした。不信仰なことでしょう。
そんな中、弟子たちを代表してペテロは、16節「あなたは生ける神の子キリストです」と告白しました。紀元30年頃のパレスチナ全域と宗教的状態を考えますと、これは突出した信仰告白でした。しかしこれこそ、イエスが御言葉と御業(みわざ)をもって弟子たちに根気強く何度も何度も教えて来られたことの結果であり、その見事な結晶でした。
けれども、これは彼ら自身の力で獲得したものではなく、天の父なる神が御霊によって導かれた信仰告白でした。ですから、イエスは言われました。17節「バルヨナ・シモン(=ヨナの息子シモンという意味)、あなたは幸いです。このことを明らかにしたのは血肉ではなく、天におられる私の父です。」
従って、私たちも聖書に教えられて主イエスと真の神を確信をもって告白できる時、それは父なる神が私たちを愛して下さり、私たちに色々な時に色々な方法をもって親しく働いて下さったその結果であることを覚えて、心から神に感謝し、神を賛美したいと思います。
では、この信仰告白で、神はイエスをどういう方だとお示しになったでしょうか。
第一に、イエスは神からの約束の救い主キリストだということです。
キリストとは職務名です。ヘブル語でメシア、ギリシア語でキリストと呼ぶこの職務は、元は「油を注がれた者」という意味でした。旧約時代に、神の御心を人々に伝える預言者に、また神と人間との間を執り成す祭司に、そして人々を神の御心に従って正しく治める王に任職される時、人は頭に油を注がれました。神に聖別され、特別な賜物と聖霊が与えられたことを、それは象徴しました。
やがて時代が進み、預言者・祭司・王の三つの職務を兼ね備えた神からの救い主キリストが、神の導きの下に期待されるようになり、今、天の父なる神は、ペテロたちを導かれ、ついにイエスこそ真の預言者・祭司・王という職務を持つ完全な救い主キリストであられることを明らかにされたのでした。
ペテロの信仰告白から、もう一つ大切なことが明らかにされます。それはイエスが「生ける神の子」だということです。これも何と重要な点ことでしょうか。
どんなに美しく、豪華で、驚くほど精巧に作られていましても、所詮、偶像の神々は人間が作ったものに過ぎず、それらに命はありません。しかし、イエス・キリストは、天地万物を創られ、摂理の御手をもって万物を保持し、統治し、世の終りに全てを裁き、全てを新たにされる天の父なる神が、永遠に愛しておられる神の御子であられ、子なる神だということです。イエスは今生きておられる神の独り子(ひとりご)であられ、ご自分を信じる者に天からの永遠の命をお与えになることのできる命の源なのです。
このように、イエスは弟子たちに質問をなさり、答えさせることで、彼らの信仰を整理させ、強められるのでした。見事な教育方法だと思います。
以上のことから、私たちは大切なことを改めて教えられます。
真(まこと)の神を知るためには、何より主イエスを知ることが大切です。イエスを知る時、私たちは神の救いの御心と神の愛の広さ、長さ、高さ、深さ(エペソ3:18)も知ることができます。イエスは真の預言者であられるからです。
イエスはまた、ご自分を信じ、ご自分に全てを委ねる人たちの救いのために十字架で命を捧げ、復活され、父なる神に、日夜、執り成して下さっている憐れみに満ちた真の祭司でもあられます。憐み深い大祭司イエスについて、ヘブル2章~5章は詳しく記していますので、改めて読んでいただきたいと思います。
またイエスこそ、真の教会とクリスチャンを罪とサタンから守るために戦われ、人間の最後の敵である死をご自分の復活をもって無力にされた真の王です。
イエスこそ私たちに、もはやどんな苦しみ、痛み、悲しみ、恐怖、悪の力、死の力さえも奪えない永遠の命を与え、私たち信仰者を滅ぼすことを断じて罪とサタンにお許しにならない全治全能の生ける神の子キリストであられます。
私たちは、この世の厳しい現実を決してみくびってはなりません。人類の罪とサタンの攻撃は、どんなに多くの信仰者を苦しめ、痛めつけ、涙を流させて来たことでしょう。けれども、生ける神の子キリスト以上に力あるものは、この広大な宇宙に一切存在しません。
私たちを取り巻き、また私たちがそこに生きている周囲の状況と時代は、刻々と変ります。しかし、どんな時代にも主イエスを見上げ、信仰を告白し、悪や不信仰と戦い、福音に生きた信仰の先輩たちに倣い、私たちも繰り返し信仰を告白し、是非、神の真理と人の救いに仕える者でありたいと思います。
イエスは言われました。ヨハネ16:33「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝ちました。」