2025年03月27日「主の祈りの学び22 第四祈願 5」

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主の祈りの学び22 第四祈願 5

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 主イエスがかつて祈りの模範として弟子たちに教えられた主の祈りの第四祈願(文語訳「我らの日用の糧を今日も与え給え」)について4回学んで来ました。

 前回は、私たちの信仰の先輩たちが1563年に作成しましたハイデルベルク信仰問答から大切なことを教えられました。今日は、その約80年後の1647年頃に完成しましたウェストミンスター大教理問答(宮崎彌男訳)から学ぶことに致します。ウェストミンスター大教理問答は、読むだけで大変教えられます。今までに学んだことと重複する点もありますが、再確認できますので、それも良いと思います。少しずつ読み進めつつ、解説をほんの少し加えさせて頂きます。

 問193「第四の祈願において、私たちは、何を祈るのですか。」

 答「第四の祈願において、私たちは、自分たちがアダムにおいて、また自分自身の罪によって、この世の全ての外的祝福に対する権利を失っており、神によってその全てを奪い取られても当然であり、それを用いることができたとしても、私たちにとってそれは呪われたものとなって当然であること」と、まず言います。

 私たち人間が罪ある者であることが、本当はどれ程のことであるのかを、ここで根本から再確認させられます。すなわち、食べ物も含め、私たちがこの世で生きて行く上に必要な全ての外的祝福に対する権利を、実は私たちは失っているのです。また、それら外的祝福を神に奪い取られても当然であり、仮にその外的祝福を用いることができたとしても、それが何と私たちには呪われたものとなっても当然であるということです。

 人類の始祖アダムから受け継いだものであれ、私たち自身が犯したものであれ、罪が私達をかくも悲惨な状態にしてしまっていることを、私たちは決して忘れてはなりません。神は、罪を犯したアダムに対し、またそのアダムを代表とし、アダムに続く私たち全人類に対してこう言われました。創世記3:17「大地は、あなたの故に呪われる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」この悲惨な根本的事実を私たちはよくよく心に留め、傲慢を厳に戒めたいと思います。

 続いて大教理は言います。「また、そのような外的祝福がそれ自体では私たちを支えることもできない」と。その通り、たとい食べ物を初め、あり余るほど豊かに持ち物があっても、決してそれ自体が私たちを支え、生かすのではありません。主イエスが、マタイ福音書4:4で引用されましたが、申命記8:6はこう教えます。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口(みくち)から出る全ての言葉で生きる」と。ルカ福音書12章にあります「愚かな金持ちの譬え」の中でイエスが言われたことも、見ておきます。12:15「人があり余るほど持っていても、その人の命は財産(ギリシア語=所有物、持ち物、財産)にあるのではない…。」

 更に大教理は言います。「私たちもそのような祝福に与る値打ちがないばかりか、自分自身の勤勉によってこれを手に入れたりすることもできず」と。

 前にも申しましたが、神を恐れる思いが薄れますと、私たちは必ず傲慢になり、信仰者であっても、「自分は神を信じているのだから、色々な外的祝福に当然与って良いし、勤勉に働く自分に、祝福は当然」という思いにさえ陥りやすいものです。しかし、これは大間違いです。繰り返しますが、大教理は言います。「私たちもそのような祝福に与る値打ちがないばかりか、自分自身の勤勉によってこれを手に入れたりすることもできず」と。

 かつて奴隷として苦しめられたエジプト脱出を許され、間もなく約束の地カナンに入ろうとしていた旧約時代のイスラエルの民に、モーセはハッキリ注意しました。申命記8:17「あなたは心の内で、『私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ』と言わないように気をつけなさい。」

 もう少し大教理を見ます。「むしろ不法に欲しがり、手に入れ、用いようとしがちであることを認めた上で、自分自身と他の人々のために、次のことを祈ります」と。

 祈りの内容は次回に学びます。今日確認しておきたい最後の点は、生きる上で必要な外的祝福を、人間は「不法に欲しがり、手に入れ、用いようとしがち」だという指摘を忘れてはならないことです。信者、未信者に関らず、神の憐みにより御霊に守られなければ、人は皆、本当はそれ位、罪を犯しやすいのです。

 ウェストミンスター大教理問答は、ここでエレミヤ記6:13を証拠聖句に上げています。紀元前6世紀の初め、エルサレムがバビロンに滅ぼされる直前、神は人々の罪深い状況をこう言われました。「身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、皆偽りを行っている」と。これは決して他人事(ひとごと)ではありません。人には分らないことも全て見通しておられる神を、本当に恐れ、平伏しつつ、心して第四の祈願を捧げたいと思います。

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