2025年03月13日「主の祈りの学び21 第四祈願 4」
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主の祈りの学び21 第四祈願 4
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
マタイによる福音書 6章6節~13節
聖書の言葉
6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』マタイによる福音書 6章6節~13節
メッセージ
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前回の聖書研究祈祷会では、中断していました主の祈りの学びに戻り、以前、2回ばかり学んだままになっていました第四祈願の学びを振り返りつつ、五つの点を確認しました。今日も続けて第四祈願を学ぶことに致します。
主の祈りだけでなく、私たちが聖書を学ぶ時、長い歴史の中で信仰の先輩たちが、聖書の御言葉(みことば)、教えをどのように受け止め、理解し、どのように告白して信仰の戦いをして来たかを学ぶことは、とても大切です。そこで今日は、1563年に作られましたハイデルベルク信仰問答の問125を見ます。
問「第四の願いは何ですか。」
答「『我らの日用の糧(かて)を今日も与えたまえ』です。すなわち、私たちに肉体的に必要な全てのものを備えて下さい、それによって、私たちが、あなたこそ良きもの全ての唯一の源であられること、また、あなたの祝福なしには、私たちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、私たちの益にならないことを知り、そうして私たちが、自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせて下さい、ということです。」
一読して思いますのは、これは、私たちの体に必要なものを神に祈り求める際の具体的な注意というより、神との関係において私たちが留意すべき根本的なことを教えているということです。
例えば、第一に、「あなたこそ良きもの全ての唯一の源であられること…を知り」と述べ、神こそ全ての良きものの唯一の源であられるという根本的なことをハッキリ教え、信仰の土台を確認しています。
第二に、「あなたの祝福なしには、私たちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、私たちの益にならないことを知り」と述べ、神の祝福なしには、私たち罪人はどんなことにおいても全く無力で惨めな存在であることが告白されます。私たちには「自分が働けば、生活の糧は手に入れられる」と思い込んでいるような所があると思います。けれども、ハイデルベルク信仰問答は、神の祝福がなければどうにもならないことをハッキリ語り、私たちの無知と信仰の薄さから来る誤解を徹底的に取り除こうとします。
第三に、「私たちが、自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせて下さい」と述べ、決して私たち自身にではなく、生ける真(まこと)の神にのみ信頼を置くべきという信仰の根本を徹底的に教えます。
第四の祈願を祈る時に忘れてはならない具体的な注意も、当然、とても大切です。しかしそれと共に、またそれ以前に、ハイデルベルク信仰問答が言いますように、全く義にして聖なる真(まこと)の神の前に、堕落して罪の内にもがき、弱さと悲惨の中にある私たちの根本的な状態を、また主イエス・キリストにある神の計り知れない憐みを、決して忘れないでいたいと思います。このことは、1640年代の後半に告白されたウェストミンスター大教理問答や小教理問答においても同じです。
さて、今日はもう一つ、この第四祈願と関連する大事なこととして、私たちが、外に出てのものであれ、家の中のことであれ、労働に勤しむ(いそしむ)ことの大切さも改めて心に留めたいと思います。
使徒パウロはⅡテサロニケ3:10~12でこう教えます。「あなた方の所にいた時、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。ところが、あなた方の中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いた生活をし、自分で得たパンを食べなさい。兄弟たち、あなた方はたゆまず良い働きをしなさい。」
テサロニケの教会には、残念なことですが、働けるのに働こうとしない怠惰な人たちがいたため、パウロはこう教えたのであり、働きたくても働くことのできない状態にある人たちへの教えではありません。
大切なことは、第四祈願を祈る私たちを、神は通常、私たちの労働を用い、労働を祝福し、労働の実として、食べ物を初め私たちの生きる上での諸々の必要も満たして下さる、ということです。自分では汗を流そうとせず、怠けていながら、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ることはできません。それは主の御心ではありません。
とにかく、自分で今働ける者は、働けることを大いに神に感謝し、また私たちの労働を通して、今働けない方々の生活の必要をも神が満たそうとしておられることをよく覚えたいと思います。こうして、私たちが働くことの尊さ、大切さを改めて心に留め、私たちの日々の様々な働きにも祝福があるようにと、全ての良きものの源であられる神に、是非、祈り求めたいと思います。