2025年03月04日「主の祈りの学び20 第四祈願 3」

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主の祈りの学び20 第四祈願 3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章9節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

6: 9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』マタイによる福音書 6章9節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今年に入り、木曜日の聖書研究祈祷会では「イエスの祈りとそのお姿」と題して8回ほど御言葉を学びました。今日は、2020年8月27日を最後に、ずっと中断していました主の祈りの学びに戻ります。その時は、第四祈願を2回学んだところでした。

 学びを中断したのは、その頃、主日礼拝の連続講解説教でもマタイ福音書6:9以降の主の祈りの所に進み、内容が重なったからでした。そして礼拝での主の祈りの説教が終りましても、祈祷会では他の色々なテーマを奨励で行い、今に至りました。しかし、去年から小豆島バイブルスタディに集われる皆様が、以前祈祷会でお話し、ホームページに掲載しました主の祈りの奨励をテキストにして学び始められましたので、中断したままではいけないと思った次第です。

 そこで今日はまず、以前2回ほど学びました第四祈願のメッセージを少し振り返りたいと思います。

 第一祈願から第三祈願で、私たちは、私たち自身のことからではなく、この世界と人間を造られた真(まこと)の神のことからまず祈り始めるべきことを学びました。

 次に、第四祈願から私たちは自分のことで祈って良く、感謝なことに私たちが食べて生きて行く上での具体的な必要まで、神に、それも大胆に祈り願って良いことを、特に第四祈願で教えられました。

 ただ、注意すべきこともあります。第一に、私たちはこういう祈りを自分の必要や欲望の満たしだけを目的として祈ってはなりません。Ⅰコリント10:31は「あなた方は、食べるにも飲むにも、何をするにも、全て神の栄光を現すためにしなさい」と教えます。つまり、私たち自身の生活の満たしや楽しみが究極の目的ではなく、天と地を造られた真(まこと)の神に私たちが喜ばれる者となり、キリストの体なる教会や隣人によく仕えることができ、神の栄光が現されるために、祈り求めるべきだということです。こういう目的意識の下に、具体的な生活上のことも神に祈りたいと思います。

 第二に、私たちは決して貪欲にではなく、必要分だけを神に願うことが大切です。11節で「日ごとの」と訳されている元のギリシア語には「必要な」という意味もあります。従って、あり余るほどではなく、ずっと先の一生分でもなく、日毎に必要な分をお与え下さい、と神に祈るのです。

 ここに私たちは、贅沢(ぜいたく)や過剰な求め方を戒められ、慎ましさを教えられます。箴言30:8、9はこう祈ります。「…貧しさも富も私に与えず、ただ私に定められた分の食物で、私を養って下さい。私が満腹してあなたを否み、『主とは誰だ』と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。」

 第三に、私たちは心からの謙(へりくだ)りをもって神に求めるべきことを教えられます。箴言3:34(新共同訳)は言います。「主は不遜な人を嘲り、謙(へりくだ)る者に恵みを賜る。」ヤコブ4:6は言います。「神は高ぶる者には敵対し、謙った者には恵みを与える。」

 第四に、常に他の人のことも覚えて祈ることを教えられます。イエスは、「私の」ではなく、「私たちの」日毎の糧を与えて下さい、と祈るようにお教えになります。私たち罪人は、祈りにおいても、つい自分のことやせいぜい自分の家族や自分の教会のことで終始し、他の人のことは疎か(おろそか)になりやすいものです。しかしイエスは、「私たちの」必要な糧をと教え、私たちの意識と関心と愛を他者に向け、グイっと大きく広げようとしておられます。

 以上、前に学んだことを簡単に振り返りました。今日はもう一つ、第五に、私たちの生きているこの世、この世界全体に及ぶ神の壮大な恵みと憐みをよく心に留め、神への感謝と賛美と畏れをもって祈るべきことを確認したいと思います。

 恐らく私たちは、この祈りを祈る時、私たちが直接口にする食べ物のことが何より念頭にあると思います。しかし、その食べ物はどうやって私たちの口に届くのでしょうか。ご飯、野菜、魚、肉、果物、飲み物など、全ては誰かが育て、誰かが体を動かし、収穫し、誰かが車や列車、船、飛行機などで運び、誰かが加工するなど、色々な人の手を通って、漸く(ようやく)私たちに届きます。しかもその前に、水、空気、土、光、温度、湿度、天候、肥料、栄養など、あらゆる条件が揃ってこそ、それらは初めて私たちの食べ物になり得ます。それが可能になるのは、結局、全て神のお蔭でしかないのです。

 前にも申しましたが、イエスが言われる「糧」とは、私たちの生存と生活に必要な衣食住等の一切を意味します。それらが全部揃って、初めて私たちは生きることができるのであり、その全てを神はただ計り知れない恵みと憐みにより、罪人(つみびと)の私たちにずっと与えて下さっていたのです。何という神の恵み、憐みでしょうか!これからはこういったこともよく心に留め、意識し、天を仰いで感謝し、主イエスの励ましを頂いてご一緒に第四の祈願を献げ続けたいと思います。

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