2025年02月27日「イエスの祈りとそのお姿 ⑻」

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イエスの祈りとそのお姿 ⑻

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 17章13節

聖句のアイコン聖書の言葉

17:13 私は今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、私の喜びが彼らの内に満ちあふれるためです。ヨハネによる福音書 17章13節

原稿のアイコンメッセージ

 「イエスの祈りとそのお姿」と題してイエスの祈りについて続けてお話し、ここ数回は「大祭司イエスの祈り」と呼ばれるヨハネ福音書17章の祈りから、いくつかの点を見て来ました。今日8回目は、13節「私は今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、私の喜びが彼らの内に満ちあふれるためです」という祈りに注目致します。

 やがて、イエスは天の父なる神の御許(みもと)に行こうとしておられます。実際、この祈りの数時間後、イエスはゴルゴタの丘で十字架にかけられ、全世界の罪を償う犠牲の献げ物として、ご自分が死ぬことをよく分っておられました。そういう差し迫った時ですのに、何と主は、弟子たちのこととその後のあらゆる時代のご自分の民を念頭に置き、彼らのために祈られたのです!何という主の愛でしょうか!一体、私たちはどれだけ、主イエスに愛されているのでしょうか。が、まさにこれが、私たちを天の父なる神に絶えず執り成していて下さる仲保者、大祭司、神の御子イエスというお方なのです。

 さて、この13節でイエスは「私の喜びが彼らの内に満ちあふれるためです」と祈られました。何と万物の創り主、生ける真(まこと)の神の独り子であられる「ご自分の喜び」が、この世で無きに等しい私たちのような小さな者にも満ち溢れるように、と祈られるのです。何という主の愛でしょう!私たちは、本当はここまで主イエスに愛され、こういうことまでイエスに祈って頂いていたのです。

 「ご自分の喜び」で私たちも満たされるようにということを、イエスは前にも弟子たちに話しておられました。15:11「私の喜びがあなた方の内にあり、あなた方が喜びで満ち溢れるように」と。このお気持ちはずっとイエスご自身の中にあったのでした。

 では、イエスのその喜びとは何でしょうか。ここには説明はありませんが、今までに見て来たことからいくらか考えられますので、繰り返しを厭わず上げてみます。

 一つは、天の父なる神との、従ってまた聖霊なる神との、永遠から永遠に渡るこれ以上ない麗しい三位一体の神ご自身の内にある交わりへの喜びです。この交わりについては、21節「父よ。あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように」という、御子イエスと父なる神の交わりを表わす御言葉を見た時に確認しました。

 昔から「キリスト教は交わりの宗教である」とよく言われて来ました。その通りです。従って、使徒信条も教会を「聖徒の交わり」と呼びます。

 では、キリスト教では何故交わりがそれほど特徴的であり、大切なのでしょうか。愛をもって私たちをお造りになり、また御子イエスによりお救い下さる神ご自身が、相互に最高の愛の交わりを持たれ、その交わりを喜び楽しまれる父・子・御霊なる三位一体の神だからです。そして御子イエスは、ご自分にとって最高の喜びであるその三位一体の神ご自身の永遠の愛の交わりの中へ、私たちをもお招き下さっているのです。

 実はクリスチャンが、イエス・キリストへの信仰を通して頂く永遠の命とは、これも既に確認した通り、三位一体の神との喜びに満ちた最高の交わりに他なりません。3節は言います。「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」と。

 話を戻します。御子イエスは、ご自分にとって最高の喜びである三位一体の神ご自身が相互にお持ちの麗しい交わりに、私たちをもお招き下さっているのです。ですから、11節「私の喜びがあなた方の内にあり、あなた方が喜びで満ち溢れるように」と祈られるのです。

 主イエスの喜びの二つ目は、これも既に学びましが、父なる神の永遠の聖定の中の、特に私たち罪人を救うご計画、その中心にはご自分が十字架で命をお捧げになることがありますが、その業(わざ)をご自分が完全に果たされることでした。イエスは、それを父なる神の栄光であり、かつご自分の栄光とお呼びになる程に、喜びとしておられるのでした。ですから、イエスは祈られました。1節「父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現して下さい」と。

 繰り返します。イエスは、ご自分の人間としての命を捨ててまで私たちを罪と永遠の悲惨から救うことを、ご自分の喜びとしておられます。そして御父、御霊との麗しい交わりを永遠に喜び楽しまれるその交わりに、私たちを招き入れ、与(あずか)らせることを、ご自分の最高の喜びとしておられます!これが主イエス・キリストというお方なのです。何という主イエスの愛であり、私たちの幸いでしょう!

 ですから私たちも、教会内の交わりは勿論ですが、教会外の方々との更に広い交わりをも大いに尊び、積極的に持ち、主イエスの喜びである罪からの救いと永遠の命の恵みに更に多くの方が与ることができるように私たちを献げ、御業(みわざ)のために用いて頂き、それがまた一層私たち自身の喜びとなって行きますように、と祈り願うものです。

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