2025年02月13日「イエスの祈りとそのお姿 ⑹」

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イエスの祈りとそのお姿 ⑹

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 17章20節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

17:20 私は、ただこの人々のためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。
17:21 父よ。あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにして下さい。彼らも私たちの内にいるようにして下さい。あなたが私を遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
17:22 また私は、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
17:23 私は彼らの内にいて、あなたは私の内におられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたが私を遣わされたことと、私を愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。ヨハネによる福音書 17章20節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 「イエスの祈りとそのお姿 ⑹」と題して、今日も聖書に教えられたいと思います。

 「大祭司イエスの祈り」と呼ばれるヨハネ福音書17章の祈りを、ここ暫く学んで来ました。この長い祈りの中でイエスは、今の私たちをも含むご自分の弟子・クリスチャンが「一つになる」ことを何度も祈っておられます。お読みしました21~23節でも11節でもそうです。

 間もなく、イエスは天の父の御旨に従って十字架で命をお捧げになり、また甦られ、天と地の一切の権威を与えられて天の父の御許(みもと)に昇られるという大切な時に、クリスチャンの一致をこんなにも祈られました。クリスチャンの一致が如何に大切なことかが改めて良く分ると思います。

 では、それは何故それ程大切なのでしょうか。それは、罪を赦し、私たちクリスチャンを罪から解放し、永遠の命を与えて下さった三位一体(さんみいったい)の神ご自身の麗しい最高の交わりに、クリスチャン相互の交わりが少しでも似るようになり、その結果、神ともっと親しい交わりを持てるためなのです。

 イエスは祈られました。21節「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにして下さい。」

 「全ての人」とは、ここでは全てのクリスチャンを指します。そしてイエスは、「あなたが私の内におられ、私があなたの内にいる」と、ここでご自分と父なる神がどんなに親密な交わりの中におられるかを語られます。ここでは、ご自分と御父(みちち)との交わりにだけ触れておられますが、要するに、父・子・聖霊という三つのご人格をお持ちの唯一・真(まこと)の神は、完全に一つであられる最高の交わりの内に常におられます。そういうご自身の麗しい交わりを、三位一体の神は楽しんでおられると言っても良いでしょう。

 ですから、そういう神に罪と滅びから救われたクリスチャンの交わりも、イエスは勿体なくも、三位一体の神ご自身の内にある麗しい交わりに似るようになり、そうして三位一体の神との素晴らしい交わりを持てるようになることを願い、「全ての人を一つにして下さい」と何度も祈られたのです。

 こんなにまで私たちの交わりを愛し、熱い期待を寄せておられる主イエス!何という主の愛でしょうか。そして私たちクリスチャンは何と光栄であり幸せでしょうか。この祈り、このご期待を持って、イエスは今も天で執り成しておられます。

 ところで、「一つになる」ということがどういう意味かを確認しておきます。「一つになる」といいますと、教理や教会運営の方法の違いで色々な教派・教団に分れているキリスト教会が、早く互いの垣根を取り払い、仲良く合同すべきだという考えや運動を思い出します。いわゆるエキュメニカル運動です。全ての教派が一つになれば、世の人々はキリスト教に安心して、多くの人が信じるようになるというものです。21節の「世が信じるようになる」という御言葉をそう解釈します。私たちもそう取っているかも知れません。

 しかし、「一つになる」と訳されている所は、元のギリシア語では「一つであり続ける」という意味です。つまり、福音において提供されているイエス・キリストのみを信じ、受け入れ、寄り頼む正統信仰の信者であるなら、イエスによれば、既に根本的・霊的な一致はあるのです。

 それと21節「世が信じるようになる」とか23節「世が知る」と言われていることは、世が救われるようになるという意味ではありません。ヨハネ福音書では、「世」という言葉は、14節でもそうですが、神に敵対し、イエス・キリストを拒み、クリスチャンを憎む不信仰な者を常に指します。25節でも「正しい父よ、この世はあなたを知りません」とイエスは言われます。実は、「世が信じるようになる」とか「世が知る」とは、最後の審判の時のことを言います。つまり、クリスチャンが霊的にしっかり一致し続けることで、21節で言われていますように、確かにクリスチャンが神との素晴らしい交わりの中にあり、神がイエスを遣わされ、また23節にありますように、クリスチャンが本当に神に愛されていることを、神に敵対するこの世とそれに属する人々も、世の終りには認めざるを得なくなるということです。クリスチャンと教会に何かと敵対するサタンも、その時には同じように認め屈服するということです。

 話を戻します。従って私たちクリスチャンは、イエスが祈られたように、互いの霊的一致に絶えず自覚的に努めたいと思います。礼拝でも祈祷会でも各会の学びの時でも、単に夫々が学びを深めるだけでなく、真(まこと)の神を知る知識において一層霊的一致を皆で深めるのだという意識で、是非、臨みたいと思います。また17節で言われていますように、夫々が御言葉の真理に生きて、もっともっと神のものとなり、更に、23節、24節、26節で祈られていますように、天の父が御子イエスを愛され、私たちを愛して下さっているその愛をしっかり覚えて、互いに一層愛し合い、すなわち、感謝し合い、赦し合い、仕え合う者に是非なりたいと思います。私たちを愛しておられる故に、主イエスは熱い期待を寄せておられます!

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