2025年01月19日「天の御国(みくに)の弟子となった学者」

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天の御国(みくに)の弟子となった学者

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 13章51節~52節

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聖句のアイコン聖書の言葉

13:51 「あなた方は、これらのことが皆分かりましたか。」彼らは「はい」と言った。
13:52 そこでイエスは言われた。「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者は皆、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」マタイによる福音書 13章51節~52節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、マタイ福音書13:51、52から、私たちクリスチャンへの主イエスの愛と私たちの幸せを、改めて二つ三つ教えられたいと思います。

 イエスは弟子たちに言われました。51節「あなた方は、これらのことが皆分かりましたか。」

 「これらのこと」とは、13章でイエスが語って来られた天の御国(みくに)の譬え話を指します。そして「天の御国」とは、今この世で始っている救いを中心とする神の恵みのご支配を指します。

 では、この51、52節から何を教えられるでしょうか。繰り返しますが、それは何といっても、神の御子なる救い主イエス・キリストを心から信じ、受け入れ、依り頼み、主に従う真(まこと)のクリスチャンへの主イエスの愛であり、クリスチャンの幸せです。

 第一に、イエスはご自分の弟子たちが、<知識>の点で素晴らしい光栄に与っていることを教えて下さいます。イエスは弟子たちを52節「天の御国の弟子となった学者」と言われます。「学者」といいますと、紀元1世紀のユダヤではパリサイ派の律法学者たちを指しました。彼らは旧約聖書とそれに関する昔からの膨大な伝承を、一般のユダヤ人たちより遥かに良く勉強し、教えることができました。

 しかし、イエスは弟子たちを特に「天の御国」の弟子となった学者だと言われます。学者と言われますと、私たちは戸惑いますね。私たちの殆どは学者ではないからです。しかし、イエスはそんなことを言っておられるのではありません。要するに弟子たちを「天の御国について良く学んだ者」だと言われるのです。

 実際、永遠の命を中心とする目に見えない神の恵みのご支配がどのように進展し、それに与るために何が大切で、人をそれがどんなに祝福するかなどについて、クリスチャン以外の誰が知るでしょうか。ノーベル賞級の学者でも、天の御国が信仰者に与える救いの素晴らしさは知りません。救いの恵みに与った信仰者が、試練の中でも信仰と希望と愛に生きるその幸せや安心感、また主の祈りを心から唱える時に私たちに与えられる深い平安と確信、十戒を神への感謝の応答また神の栄光を現し、神を喜ぶ人生の指針として生きる幸せを、一般の学者は知りません。けれども、感謝なことにクリスチャンは知っています!本当に知っています!イエスが弟子たちを<天の御国を良く学んだ学者>と言われたその大きな光栄と幸せを改めてよくよく覚え、主イエスに心から感謝したいと思います。

 第二に、イエスが私たちに<問うて下さる>ことも何と幸せでしょうか。

 イエスは弟子たちに51節「あなた方は、これらのことが皆分かりましたか」と問われました。ここにもイエスの愛があります。

 「はい」と答えた彼らは、七つの譬えを本当はまだ十分には分っていなかったと思います。イエスは彼らの返事をそのまま受け容れられますが、「皆分かりましたか」とイエスに問われたことで、弟子たちは自分の理解度を一瞬でも自分に問い、そしていくらか分っていることを確認した上で、「はい」と答えたでしょうね。

 感謝なことは、主が彼らに「あなた方は、これらのことが皆分かりましたか」と問い、確認されたことです。そしてイエスは今も色々な折りに、御霊により私たちに「あなたは福音が、御言葉が、良く分りましたか」と問うて下さっていると思います。

 私たちは聖書を読み、新しい発見や気付きがあります。また牧師や他の人に教えられ、キリスト教の良い本を読み、神とその御心や愛に気付かされることもあります。しかし単に「あぁ、分った」で終らず、「あなたは分りましたか」と主が尚も私たちに問うて下さっていることを、是非、覚えたいと思うのです。

 実は弟子たちもイエスの教えを聞きっ放しではなく、36節「畑の毒麦の譬を説明して下さい」とイエスに問いました。ヨハネ14:5は、弟子のトマスがイエスに、「主よ。どこへ行かれるのか、私たちには分りません」と問い、8節はピリポが「主よ、私たちに父を見せて下さい」と尋ねたことを伝えます。弟子たちもイエスに問い、尋ね、そうしてますます分るようになって行きました。

 優れた学者は自分がまだよく分っていない点や疑問を大切にし、探求し続けます。そうでないと、大切な真理に行き着きません。同じように、聖書、神、世界、人間、罪、イエス・キリストによる救い、教会などについて、分らない点があっても全然平気という人は、何年経っても御言葉が身に付かず、霊的に成長しにくいですね。

 しかし、イエスは敢えてクリスチャンを「天の御国の弟子となった学者」と呼び、成長を期待なさいます。ですから、分らないことがあるかどうかを何度でも自分に問い、分らないことがある時には、牧師や信仰の先輩たちを通してでもかまいません、「主よ、教えて下さい」と尋ね求めたいと思います。主は言われます。マタイ7:7「求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。」

 私たちをご自分に似る者へと成長させようとしておられるイエスは、今この時も私たちに問うておられます。「あなたは、これらのことが皆分りましたか。」繰り返し問うて下さる主の愛と熱心を覚え、私たちも正直に「主よ、教えて下さい」と尋ね、実質的にも「天の御国の弟子となった学者」とイエスに呼んで頂ける者に、是非、成長させられたいと思います。

 三つ目を見て終ります。イエスは、天の御国を学んだ者が、次にそれを皆と分ち合うことを願っておられます。ここにもイエスの素晴らしい愛と私たちの幸せを教えられます。

 イエスは言われます。52節「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者は皆、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」

 本物の学者は、研究して自分が分っただけで満足している人ではありません。学んだ貴重な成果を必ず社会や人のために用い、活かす人です。まして主イエスに「天の御国の弟子となった学者」とまで言われるクリスチャンが、聖書と教会に教えられ、「分った」と思ったことを自分の中だけに留めて(とどめて)おくことは、主イエスの御心ではありませんね。

 そして52節にありますように、心ある優れた一家の主人は、自分が持っている新しい物や古い物を、後生大事(ごしょうだいじ)に貯め込むだけでなく、大事な時に倉から取り出し、皆に分ち与えます。

 真に優れた学者も一家の主人も、大切なものを独り占めしません。自分が得たものを皆と分かち合い、皆の笑顔を見て、自分も最高に嬉しくて大きな幸せを覚える人です。

 紀元1世紀の律法学者たちは、旧約聖書と先祖たちからの伝承をよく学んで知っていました。しかし、主イエスとのやりとりを見てみますと、必ずしもそこに罪と永遠の滅びから救われた爽やかな解放感や溢れる感謝、また神と人々への積極的な愛の奉仕の喜びは見られず、それを皆と分ち合うことも余りなかったように思われます。

 しかし、天の御国を学んだ人は違います。美しい花も、暗い中では美しさが分りませんが、光を当てますと、見事にその美しさが分ります。同じように、主イエスの福音の光の下で旧約聖書を読みますむと、神の愛と真実が一層鮮やかに分ります。例えば、旧約聖書のイザヤ書53章には、人々に理解されず、苦しめられ、命を絶たれた<苦難の僕(しもべ)>のことが伝えられています。このままでは、これが誰を指すのか、よく分らなかったでしょうね。

 けれども、イエスの十字架と復活を知る弟子たちは、そこに、全世界の罪を背負い、贖いを全うされた神の御子なる救い主、イエス・キリストについての預言を見出し、神の驚くべき救いのご計画を知り、一層神の愛と真実を確信し、それを人々に伝え、人々と分かち合わないではおられなかったでしょう。ですから、イエスは言われます。「天の御国の弟子となった学者は皆、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」

 「古い物」とあります。確かに、クリスチャンは、真の神を知る前から知っていた古い物を全部捨てる必要はなく、むしろイエスの福音の光の下で、神と人のためにそれらを新しく用い、活かせることも、ここに教えられていると思います。

 とにかく、イエスはクリスチャンを学者と家の主人に譬えて、真に尊いものを人に献げ、用いる幸いへと私たちを招いておられます。使徒20:35も「受けるよりも与える方が幸いである」という主イエスの御言葉を伝えています。自分の内にため込むだけでなく、人と分かち合う喜び、幸せほど、素晴らしいものはありませんね。主は、この幸せに私たちを更に与らせようとして、今朝、ここの御言葉を下さったのだと思います。

 クリスチャンを「天の御国の弟子となった学者」、また「一家の主人」とお呼びになり、「これらのことが皆分かりましたか」と繰り返し私たちに問いかけ、決して奪われることも失われることもない神からの最高の宝を、人と分かち合う素晴らしい幸せへと招いておられる主イエス・キリストの愛に、是非、皆でお応えしたいと思います。

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