2024年12月29日「まず神の国と神の義を求めなさい」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

まず神の国と神の義を求めなさい

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 6章33節

Youtube動画のアイコンYoutube動画

Youtubeで直接視聴する

聖句のアイコン聖書の言葉

6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは全て、それに加えて与えられます。マタイによる福音書 6章33節

原稿のアイコンメッセージ

 今年最後の主の日の礼拝をご一緒に献げることができ、神に心から感謝致します。

 一年の締め括りであり、同時に新年を目前にしています今朝、聖書のどの御言葉に聞こうかと祈り、考えました。結局、マタイ6:33の主イエスの御言葉、「まず神の国と神の義を求めなさい」に導かれました。今朝はこの御言葉により、今年一年の私たちの生き方の根本姿勢を検証し、それと共に、神が与えて下さる新しい年にも、是非、覚えていたい大切な根本姿勢を確認したいと思います。

 ところで、何故この御言葉なのでしょうか。それは今申しました私たちクリスチャンの生き方の根本姿勢が、ここに簡潔に言い表わされているからです。

 お分りのように、ここは6:25「何を食べようか何を飲もうかと、自分の命のことで心配したり、何を着ようかと、自分の体のことで心配したりするのはやめなさい」と語り始められた神の御子イエスの教えの中にあります。すなわち、「自分は今後も食べていけるのか、生きていけるのか」などと、生活のことで何かと思い煩いやすい、そういう心配性の私たちに対し、イエスは34節まで知恵に満ちた大変重要なことをお教えになっています。6:33は、そういう文脈の中での御言葉ですが、これは単に生きていけるのかといった心配や不安に対する教えであるだけでなく、私たちの生き方の根本を教え、励ます大変重要な教えでもあります。ですから、これを今朝取り上げたいと思うのです。

 イエスは33節で「まず」と言われます。すなわち、時間的にも神の国と神の義を求めることを優先し、また様々な雑事よりも遥かに大切なこととして神の国と神の義を求めるということです。

 では、「神の国と神の義」を求めるとは、どういう意味でしょうか。

 まず「神の国」ですが、聖書においては、国は支配を意味します。国といいますと、私たちはつい国境で囲まれた領土や国土を連想すると思います。しかし聖書では、何より支配を意味します。ですから、主イエスはルカ17:21で「神の国はあなた方のただ中にあるのです」と言われました。また、バプテスマのヨハネも「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから」(マタイ3:2)と人々に言いました。

 そして、イエスの言われる神の国とは、万物を無から造られた「創り主」で、かつ万物を保持し、統治し、導いておられる「摂理の主」なる真(まこと)の神のご支配を意味します。

 また、その真の神は、ウェストミンスター小教理問答の問4が見事に告白しますように、「存在、知恵、力、聖、義、慈しみ、まことにおいて、無限、永遠、不変の霊」であられます。従って、神の国を求めるとは、このような真の神による最高のご支配を、私たちの体と心と魂、そして全生活、全生涯の上に、私たちが心から求めるということです。

 この世で私たちは結構、色々な人やものとの繋りや影響力、あるいは圧力の下にあると思います。そしてそこには、私たちを良いことへ導き、良い影響を与え、ついには私たちを天国に導き入れるものもあれば、その逆に、私たちに悪い影響を与え、不信仰で罪深いことに導き、私たちを利己的な醜い者にし、あるいは、私たちに神がお与え下さっている良い賜物をも駄目にし、それどころか、永遠の滅びに引きずり込むものもあります。その最たるものは悪魔、サタンです。

 実際、幼い時からの自分の人生を振り返りますと、気づかない内に、私たちは神の聖い(きよい)御心から遠く離れた愚かなものに支配されたり、振り回され、押しつぶされたりする部分もたくさんあるのではないでしょうか。それを思いますと、知恵に満ち、聖く(きよく)正しい真実な神のご支配、すなわち、神の国が私たちに全面的に臨むことは、何と感謝なことであり、何と素晴らしく幸いなことでしょうか!

 そういうわけですので、私たちと私たちに起っていることも全てご存じの神の御子イエス・キリストは、「まず神の国を求めなさい」とハッキリお教えになるのです。これは最高のアドバイスなのです。そういえば、主の祈りの第二祈願として、「御国を来らせ給え」と祈るように、主イエスは教えても下さっています。

 では、もう一つの「神の義を求める」とは、どういう意味でしょうか。

 ここでの「義」は、正しさという意味だけでなく、神の聖く(きよく)麗しいご性質の全体を意味します。従って、「神の義を求める」とは、生れながらに罪の咎(とが)と腐敗した性質を持つ私たちが、神の聖く麗しいご性質の全てに、私たちがますます与り、その意味で神に私たちがますます似る者となることを願うということです。

 私たちはどうでしょうか。スタイルや顔形はともかく、どういう性質の、どういう人格の人間に自分がなることを本気で願っているでしょうか。忙しさに追い回されて、そういうことを考える暇がないとか、そもそもそんなことは最初から全く考えることもしない、という生活を送っているでしょうか。

 ここで私たちは、御子イエスへの信仰だけで、私たちの罪を全て赦し、義とし、ご自分の子とし、聖化し、ご自分との親しい最高の交わりを持つことを願っておられる「神の御思い(みおもい)」を考えたいと思います。創世記1:26、27が教えますように、そもそも神は、私たち人間を「神の形」に、また「神に似せて」造られました。それは何のためにでしょうか。私たち人間をご自分のパートナーとして、私たちと親しく最高の交わりをお持ちになるためでした。

 ところが、人間は、アダムにおいて、またアダムと共に神に背いて堕落し、罪の中に落ち、神の形は大きく損なわれ、そのままでは永遠に滅ぶだけの空しい惨めな存在になってしまいました。

 しかし神はこんな私たちを憐れみ、そこでご自分の大切な独り子を救い主として賜りました。イエス・キリストです。神は、このイエス・キリストへの信仰により、私たちを罪と永遠の滅びから救うだけでなく、実は私たち信仰者の内面に、ご自分と最高の交わりを持つことができるための聖く麗しい性質を回復させようとしておられるのです。ですから、イエスは「神の義」を求めなさい、と言われたのでした。

 「神の義」、すなわち神のその麗しいご性質は全て御子イエス・キリストの内にあります。コロ2:9は言います。「キリストの内にこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」と。ですから、御言葉と御霊により、イエス・キリストと私たちが霊的な交わりを持ち続けることは、とても素晴らしいことなのです。私たちの内に神のご性質が回復されていくからです。

 もう十分でしょう。神の国と神の義を求めることは、最初に申しましたように「私たちの生き方の根本姿勢」と言っても良い位、とても大切で素晴らしいことなのです。

 しかもイエスは33節の後半で約束されます。「そうすれば、これらのもの(=私たちが生きて行く上で必要なもの)は全て、それに加えて与えられ」ると。私たちが、神の喜ばれる第一のことを第一として生きるなら、存在、知恵、力、聖、義、慈しみ、まことに満ちた無限・永遠・不変のお方であられる真の神は、必ず他の必要をも満たし、生かして下さるのです。

 そこで、最後に短く勧めをして終ります。

 一つは、今日を入れて後三日で終ろうとしているこの一年間の、自分の生き方の根本姿勢を検証することです。「神の国と神の義」、つまり、最も大切な神のご支配を自分の体と心と魂に、そして日々の全生活の上に求め、また神の麗しいご性質にもっともっと自分が与れることを、今年、私たちはどれ位強く神に求めて来たでしょうか。無論、私も同じであり、この点で私たちは皆、不十分であったことを認めざるを得ないと思います。ご一緒に心から素直に天の父なる神にお詫びし、悔い改め、赦して頂きたいと思います。仲保者でもあられる主イエス・キリストの故に、天の父は必ず赦して下さいます。

 もう一つは、間もなく迎える2025年に、是非持ち続けたい根本姿勢を確認することです。信仰の薄い私たちを尚も愛し憐み、「まず神の国と神の義を求めなさい」とお教え下さる主イエス・キリストの御声(みこえ)に、是非、幼子のように素直に聞き従い、心から求めたいと思います。

 慈しみに満ちた主イエスが、どうか私たち一人一人の手を堅く握りしめ、聖霊により私たちの信仰を大いに励まし、新しい年の私たち一人一人の歩みを導き、大いに祝福して下さいますように!

 アーメン

関連する説教を探す関連する説教を探す