2024年12月19日「キャンドル礼拝 神の驚くべき愛を覚えて」
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キャンドル礼拝 神の驚くべき愛を覚えて
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
ヨハネの手紙一 4章7節~10節
聖書の言葉
4:7 愛する者たち、私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者は皆神から生れ、神を知っています。
4: 8 愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。
4: 9 神はその独り子を世に遣わし、その方によって、私達に命を得させて下さいました。それによって神の愛が私たちの内に示されたのです。
4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪のために、宥め(なだめ)の献げ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。ヨハネの手紙一 4章7節~10節
メッセージ
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罪の世の暗闇に輝く光、主イエス・キリストのご降誕を覚え、今年もキャンドル礼拝を持つことができ、心より感謝致します。
ご承知のように、神の御子イエスの誕生には様々なメッセージが込められています。しかし、その最大のものは、神を無視し、神に背き、利己的に生きている私たち罪人への、神の驚くべき愛がそこにあることです。
神が万物を創られた時、人間は最後に、それも神に似る者として最も光栄ある者に創られました。しかし、その後の人間はどうだったでしょうか。真(まこと)の神に代えて、命も実体もない偶像をいっぱい作っては、それらを拝み、崇め、また争いや戦争を繰り返し、少し辛いことがありますと、すぐ人や社会や神を恨むことの多い私たち人間です。
こんな私たちは、神の目からご覧になって、愛らしいでしょうか。むしろ、どんなに不愉快でしょうか。直ちに神が全人類を滅ぼされても当然だと思います。
ところが、神はこんな私たちをなおも憐れまれ、自己中心で身勝手な私たちですのに、永遠の滅びに至ることを神は決して望まれず、何とご自分の愛しい(いとしい)独り子をこの罪の世に遣わされたのでした。私たちに本来臨むべき刑罰を全部、ただ御子イエスお一人に負わせ、私たちを罪と永遠の悲惨から贖うためでした。
主イエスはそのために生れ、十字架で命を献げられました!イエスへの信仰だけで私たちを罪から完全に救い、永遠の命を与えるためです。何という神の愛でしょうか。お読みしたⅠヨハネ4:7~10は、これを語るのです。
大分前に一度お話しましたが、43年前の秋、私は数名の牧師と共に米国のアトランタにあるコロンビア神学校へ行き、少し勉強し、12月にはニューヨークへ行き、ハーレムという地域も見ました。ハーレムは、当時、少々荒れていたために、ガイドは「彼らに絶対カメラを向けず、彼らと目を合さないように」と注意しました。それを聞いて私たちは緊張しながら、マイクロバスでゆっくりハーレム地区へ入りました。汚いビルには、ペンキで大きな絵や文字が書かれ、朝なのに子供たちは学校へ行かず、酒に酔った大人たちが空ろな目で家の前に座り、じろっとこちらを見るという荒んだ(すさんだ)光景が見られました。
しかし、私も牧師です。そこで、どうすれば彼らに福音を伝えられるだろうかと、車の中で真剣に考えました。言葉だけでは全く信用されません。そこで当時、5歳を頭に3人の男の子がいた私はこう考えました。「ここに私の子供がいる。この子を皆さんに渡します。好きなようにしていいです。ですから、私が皆さんをどんなに思っているかを分って下さい」と言えば、彼らは心を開いてくれるかと。
無論、そんなことは私に出来るはずがありません。ところが、まさにそれを神はされたのです!それも御子イエスが私たち人間に殺されることが分りながらです。全く罪のない清い御子イエスの十字架の死だけが、私たちを罪と永遠の滅びから救えるために、神はそうされたのでした!何という神の愛でしょうか!クリスマスのこの時期、こういう驚くべき神の愛を、是非、改めてしっかり覚えたいと思います。
それと共に、神がここまで私たちを愛して下さっているのですから、私たちも特に憎しみや敵意、不信感、また利己的な罪に満ちたこの世界を、なお愛のある世界、社会、愛のある家庭にさせて頂かなければならないと思います。
スイスの著名な法律家でクリスチャンのカール・ヒルティは、著書『眠られぬ夜のために』の中でこう語っています。「我々はあのことこのことについて、何が最も賢い処置であるかを問う代りに、何が最も深い愛の仕方であるかを問う方が、大抵の場合、確かに良策である。ただ賢さだけでは、将来のあらゆる出来事を正しく予見し判断出来ない。」
私たちには難しい判断を求められる場合が多々あります。しかしその時、ただ賢いやり方を問うより、何が最も深い愛の仕方であるかを問う方が大抵の場合、良い方法だと、ヒルティは豊富な経験を 踏まえて語ります。考えさせられる言葉です。
色んなことが思い出される年の瀬です。しかし、私たちをなお憐れみの内に生かして下さっている神の愛を覚えるクリスマスを今年も迎えられることに、神の大きな恵みを思います。神が、どうか私たちを御子イエスにより、少しでも具体的な愛に生きる者へと清めて下さるよう、心から願います。
最後に、Ⅰヨハネ4:7~10を読んで終ります。
「愛する者たち、私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者は皆神から生れ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はその独り子を世に遣わし、その方によって、私達に命を得させて下さいました。それによって神の愛が私たちの内に示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪のために、宥め(なだめ)の献げ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」