2024年12月12日「キリストを知る幸い 4」

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:7 しかし私は、自分にとって得であったこのような全てのものを、キリストの故に損と思うようになりました。
3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることの素晴らしさの故に、私は全てを損と思っています。私はキリストの故に全てを失いましたが、それらは塵芥(ちりあくた)だと考えています。フィリピの信徒への手紙 3章7節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 キリストを知る幸いとして、パウロが人生の途上でイエス・キリストと出会い、今お読みしましたピリピ3:7、8からよく分りますように、決定的に変えられたこと、そして特に本当の意味で自由を体験したことを見てきました。

 今日は、キリストを知ることが、私たち人間にとって最も大切なものの一つである愛にとって、如何に幸いかという点を見たいと思います。

 ピリピ書を読みますと、パウロがどれだけこの教会の人たちを愛していたかが分ります。例えば、1:8「私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなた方全てを慕っているか、その証しをして下さるのは神です」と言っています。

 キリストを知る前の彼は、鋼のように意志の強い行動力のある人ではあっても、愛の人という印象は薄いと思います。しかし、イエス・キリストを知って、彼は変りました。新約聖書には、パウロの手紙が13通残されていますが、どれにも必ず書いているのが愛の勧めです。ピリピ1:9にも「あなた方の愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり」と書いています。

 どうして彼は変ったのでしょうか。イエス・キリストが彼の身代りとなり、彼が本来受けるべき、彼のあらゆる罪に対する神の怒りと呪いを十字架上で全てお受けになり、命を献げられたのですが、それ程にイエス・キリストが計り知れない愛をもって彼を一方的に愛しておられるのを知ったからです。どんなに嬉しく、主に感謝したことでしょうか!それで、彼も神と人を愛し、皆にも愛を伝えないではおられなかったのでした。

 1997年9月5日、87歳で天に召されたマザー・テレサも、魂の深みでキリストと出会い、キリストを知り、神の愛に動かされた人でした。1973年にロンドンでテンプルトン賞を受けた時の彼女の言葉はこうでした。「私たちにはキリストは見えませんから、私たちの愛をキリストに言い表すことは出来ません。でも、私たちの隣人なら見えますから、もしキリストの姿が見えるなら、してさし上げたいと私たちが願っていることを、隣人にはして上げることが出来ます。神が私たちをお使いになれるように、神に心を開きましょう。愛を行為に移しましょう。」

 彼女の祈りの言葉の一つはこうでした。「主よ、全てはあなたのためです。どうぞ、私をお使い下さい。…今あなたが望まれるように、私をお導き下さい。」こうして彼女は、コルカタ(旧名カルカッタ)の町の路上でボロ切れか死にかけた動物のように放置されたままの人たちを、あくまで人間としての尊厳性を守って、最後まで愛し、世話をしました。そのお陰で命の助かった多くの人に、彼女の愛は、もう一度、人生と人間としての品位を取り戻させ、人間の内の最も高貴な部分を甦らせたのでした。

 キリストを知ることから私たちの内面に生じる愛ということで、キリスト教伝統の厚いドイツとオーストリアのカトリック圏の子供たちが心待ちにしている「三人の王の祭り」というのが、毎年1月6日に行われるそうです。マタイの福音書の2章に記されていますが、イエスがベツレヘムで誕生された時、星の導きで東の国から博士たちが訪れたことを祝うものです。

 これは冬休みの最後の一日に当たり、クリスマスを締め括るとても楽しい子供たちの祭りだといいます。子供たちが楽しそうに地域を回り、寄付を受けるのですが、それは全額、他の国の恵まれない子供たちに贈られます。A.デーケン氏によりますと、1995年度にドイツ国内で約50万人の子供が参加し、当時の日本円に換算して30億8千万円という膨大なものでした。驚きます。見事ですね。

 また、そのドイツには「ユーモアとは、にも関わらず笑うことである」という定義があるそうです。ジョークは頭を使ったテクニックですが、ユーモアは心、特に愛と関係があるといいます。例えば、今、自分は非常に辛く、苦しい状態にある。しかし、それにも関わらず、相手に少しでも喜んでもらおうと、微笑みかける優しい心遣いをする。これが愛とユーモアの原点だといいます。悩みや苦しみのさ中でも、それに溺れるままに自分を任せず、相手のために優しさを発揮するのが真(しん)のユーモアの精神ということです。ドイツで言われているこのことは、正に(まさに)愛以外の何ものでもありません。イエス・キリストは言われました。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」マタイ22:39。

 こういう事実を知りますと、改めてキリスト教伝統の厚みと広がりの根底にあります神の御子、救い主イエス・キリストを知る幸いを思います。

 「キリストを知る幸い」というテーマで、特に自由と愛について見てきました。聖書によって神の御子イエス・キリストと出会い、主イエス・キリストをますます深く知ることの素晴らしさを改めて思います。現実の私たちクリスチャンは未完成であり、愛からまだまだ遠い者ですが、聖書と聖霊に導かれて、ご一緒に是非、この幸いに少しでも与りたいと切に願うものでございます。

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