2024年12月05日「キリストを知る幸い 3」

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:7 しかし私は、自分にとって得であったこのような全てのものを、キリストの故に損と思うようになりました。
3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることの素晴らしさの故に、私は全てを損と思っています。私はキリストの故に全てを失いましたが、それらは塵芥(ちりあくた)だと考えています。フィリピの信徒への手紙 3章7節~8節

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 ここ2回程、「キリストを知る幸い」について学んで来ました。前回は、パウロがイエス・キリストと出会うことで決定的に変えられ、体験した幸いの一つとして、この世の価値観からの自由を見ました。8節「私の主キリスト・イエスを知っていることの素晴らしさの故に、私は全てを損と思っています。私はキリストの故に全てを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」

 今日は、死の恐怖からの自由について見たいと思います。

 この手紙を書いた時、パウロは牢獄にいました。イエスが神の御子であられ、天の父なる神の賜った救い主キリストであることを宣べ伝えたために、ユダヤ人たちに憎まれ、牢獄で裁判を待つ身であり、死刑の危険性がありました。

 しかし、キリスト信仰により永遠の救い、永遠の命を頂いていることを知っていた彼は、死を超えた永遠の次元から現在の自分を見ていました。ピリピ1:20、21で彼は言います。「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストが崇められることです。私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」

 「死ぬことは益」とは、イヤなことの多いこの世で生きるより、死んだ方が楽というようなことではありません。世を去れば、愛と慈しみと栄光に満ちたイエス・キリストといつも共にいることが出来るので、最高に嬉しいということです。Ⅱテモテ4:6~8でも彼はこう語ります。「私は既に注ぎの献げものとなっています。私が世を去る時が近づきました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しい裁き主である主が、それを私に授けて下さいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、誰にでも授けて下さるのです。」彼は死の恐れから本当に自由でした。

 これはパウロだけのことではありません。例えば、1597年、豊臣秀吉の下で26人の切支丹(キリシタン)が長崎で殉教しました。彼らは京都で片方の耳たぶを切り落とされ、他の切支丹への見せしめのため、寒い冬に長崎まで歩かされました。しかし、天国の希望に嬉々として死に赴く彼らの姿は、沿道で見ていた人に却って感銘を与え、信者になる者が増えたといいます。

 中でも、最年少で12歳の少年ルドヴィコ茨木に注意を引かれます。当時の長崎奉行の弟、寺沢半三郎は、刑場のある丘に引かれていく途中のまだ幼い彼を哀れに思い、「お前がお咎めを受ける元になった信心を捨てなさい。そうすればご赦免を願って、私の養子として迎えよう」と話しかけました。しかし、ルドヴィコ茨木は「あなた様が切支丹になって、一緒に天国へ来て下さるといいのですが」と答えました。十字架にかけられた後も、「主をほめたたえよ」と讃美しながら殉教したといいます。死にゆく中でさえ、彼の心は自由と喜びを失いませんでした。

 死との関りということで、ホスピスがキリスト教の歴史の長い欧米社会から始まり、広がったことも興味深いと思います。ホスピスを誤解している人が今も多いですが、人が人としての尊厳に満ちた生を最後まで全う出来るための援助プログラムと、その基本的考え方の全てを指すのが近代のホスピス運動であり、その表れの一つがホスピスと呼ぶ施設と言えます。

 2023年12月時点ですが、日本国内で承認されているホスピス・緩和ケア施設は463か所あり、施設はありませんが緩和ケアの出来る所や在宅ホスピスも増えつつあります。しかし、例えば、米国では1992年でも1745カ所ありました。そして、米国で最初に作られたコネティカット・ホスピスでは、敷地内に市営の幼稚園があり、大勢の子供たちが自由に出入りし、患者と一緒に食事や話が出来ます。子供たちの姿は患者の皆に希望や慰め、安らぎや喜びを与え、子供たちの方も普段の生活の中で人の死に接する機会を持つことで、命をより深く受け止められるようになったといいます。どのホスピスでも、最後まで、命・生活の質を高めるための音楽、芸術、読書などの療法が大変盛んに行われています。

 確かに欧米や日本で今、キリスト教の勢いは芳しくありません。しかし、アジアやアフリカではキリスト教が更に広がっています。また特にホスピス運動などを見ますと、死を直視し、最後まで人としての尊厳をもって生きることを皆で積極的に温かく支えるキリスト教的背景を覚えずにはおられず、改めてキリストを知る幸いを覚えさせられます。

 パウロや多くの人たちと共に、私たちも豊かにキリストを知ることで、死を超えた自由を一層知る者にされたいと思います。

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