2024年11月14日「人生の最後に向っての課題」

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人生の最後に向っての課題

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 3章16節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:16 神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネによる福音書 3章16節

原稿のアイコンメッセージ

 今日は、ヨハネ3:16から大切なことを改めて学びたいと思います。

 2004年に出ました『緩和ケア入門』という本で、著者ポーター・ストーリーは、死にゆく人の課題を上げ、特に自分についての大切な理解の仕方を三つ上げました。死にゆく人の課題などというと、私たちはつい身構えてしまいますが、本当は誰にとっても最も大切な課題と言えます。

 では、それはどんなものでしょうか。人生を回顧し、それにより自分の物語を見出す作業をする、と著者は言います。自分の物語などというと、自分を主人公として特別視するように思えて少し引っ掛かりますが、ここで言う物語とは英語のストーリー(story)の訳で、歴史を意味するラテン語のヒストリア(historia)から来ています。つまり、ドラマ性のある特別なものというより、他の人ではない「私という人間の歴史」ということです。それにより、自分の人生の意味を見つけ、過去と現在の状況において自分が価値ある存在であることを理解し、また他の人の愛と思いやりを受け入れることを学ぶことだ、と著者は言います。

 繰り返します。⑴人生の意味を知り、⑵自分が大切な存在であることを知り、⑶他者の思いやりを受け入れることを学ぶことです。

 実は、ヨハネ3:16はこれらのことも教えていると思います。

 順序を変えて言いますが、第一に、私たちは自分が価値ある存在であることをまず覚えたいと思います。3:16「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 神はご自分の御子を私たちにお与えになりました。どうしてでしょうか。創り主なる神を無視して利己的に生きる私たちは、裁かれ滅びて当然であり、本来、こんな私たちに何の価値があるでしょうか。

 しかし、私たちの人生を振り返ると、どうでしょう。神は、いつの間にか私たちに近づかれ、私たちに働きかけ、私たちを常にご自分のそばに置こうとして来られたのではないでしょうか。どうしてでしょう。ただ私たちへの愛の故でした。私たちは驚くほど、神に大切な者と思われているのです。実際、神はイザヤ43:4で「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と言われます。何という神の愛でしょう。ですから、私たちは傲慢は戒めますが、自分を過度に卑下することはやめ、価値ある存在として改めて自分を大切にしたいと思います。

 第二に、人生の究極の意味は、御子を賜ったほどに私たちを愛しておられる神の愛に応答し、神を喜び、神と交わることにあるという点を覚えたいと思います。

 神は御子を賜ったほどに私たちを愛し、永遠の命を賜りました。従って、私たちの人生の究極の意味も、神の愛に喜んで応答し、神との交わりに生きることなのです。イエスを信じる者に与えられる永遠の命とは、神との交わりのことなのです。イエスは言われます。ヨハネ17:3「永遠の命とは、唯一の真(まこと)の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」「知る」とは交わりを指します。私たちを愛をもって造られた神との交わりに、私たちの人生の究極の意味があるのです。

 私たちクリスチャンの人生を振り返りますと、教会生活であれ何であれ、繰り返し神ご自身が私たちと交わりの機会を設け、御子の体である教会に私たちを結び付けて来られたのも、私たちとの交わりをますます素晴らしいものにするためだったのです。

 この世に楽しいことは色々あります。それらも悪くはありません。しかし永遠に続くものは、私たちを愛し、私たちと交わることをご自分の最高の喜びとしておられるほどに、私たちを愛しておられる神との交わり以外に何があるでしょう。ここに人生の意味はあるのです。

 第三は、人の思いやりを受け入れることを学ぶことです。

 その時々で、私たちには人の思いやりを素直に受け入れられないこともあり、遠慮も当然あります。それは良いことでもありますが、そのことと、「私は一切人の世話になりたくない」と頑なに拒むこととは別ですね。

 よく考えれば、私たちは神の一方的な思いやりにより救われ、永遠の命を頂き、具体的にも色々与えられて生かされてきた者です。私たちの思いの全く及ばない所で、私たちは神の一方的な愛と憐みに生かされている者に他なりません。

 そのことを思って、人からの思いやりをも、謙虚に、また感謝して受け入れることを更に学んでいきたいと思います。神は多くの人の愛や思いやりを通しても、私たちを顧みて下さっているのです。

 ある時は人によく仕える。しかしまた「お世話になってありがとうございます」と穏やかに感謝して人のお世話に自分を委ねることを学ぶのも、ヨハネ3:16が証しする神の愛から教えられます。心に留めたいと思います。

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