2024年11月10日「御言葉を聞いて悟る」

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聖句のアイコン聖書の言葉

13: 1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。
13: 2 すると大勢の群衆がみもとに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆はみな岸辺に立っていた。
13: 3 イエスは彼らに、多くのことをたとえで語られた。「見よ。種を蒔く人が種まきに出かけた。
13: 4 蒔いていると、種がいくつか道端に落ちた。すると鳥が来て食べてしまった。
13: 5 また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13: 6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13: 7 また、別の種は茨の間に落ちたが、茨が伸びてふさいでしまった。
13: 8 また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。
13: 9 耳のある者は聞きなさい。

13:18 ですから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
13:19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。
13;20 また岩地に蒔かれたものとは、御言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし自分の中に根がなく、しばら続くだけで、御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑が御言葉をふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。マタイによる福音書 13章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝学ぶ御言葉は、イエスが語られた種蒔きの譬えとその説明です。教会学校の子供たちもよく知っている有名な譬えです。

 色々な反応がイエスの教え、或いは、聖書の御言葉に対して起ります。何故そうなのでしょうか。私たちはどうあるべきでしょうか。今朝はそういう点を学びたいと思います。

 3節、種を播く人が種を蒔き、四つの場所に落ち、皆、違う結果になりまし。昔のユダヤでは、結構、大らかに種が蒔かれたといいます。

 18節以降のイエスご自身の説明から分りますように、種は19節「御国の言葉」、すなわち、救い主イエスへの信仰による永遠の命を中心とする福音のことであり、キリスト教の教え、キリスト教のメッセージを指します。

 重要な点は、種は皆同じですが、落ちた場所が違うために、収穫に大きな差が生じたことです。福音は誰にも伝えられます。しかし、それがどう育ち、どう実を結ぶかは、それを聞く人の心と生活に大きく左右されます。ここに私たち一人一人の責任が問われます。

 そこで、種の落ちた場所とその結果を見てみます。

 第一は4節です。「蒔いていると、種がいくつか道端に落ち、すると鳥が来て食べてしまった。」道端は、人に踏み固められて固くなっているため、落ちた種は根を出せず、鳥が来て食べてしまいました。

 これをイエスは19節でこう説明されます。「誰でも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。」並行箇所のマルコ4:15では、こう言われます。「道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。御言葉が蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を取り去ります。」

 道端に譬えられる人も、御言葉を聞くには聞きます。しかし、強い自我や何らかの強い人生観、価値観、信念を持っているためか、頑ななために御言葉を心に受け付けない人です。聞いても、すぐ他のことに気が移る。するとサタンが御言葉を奪い去り、何も残りません。何と残念なことでしょう。

 第二のものは5節です。「別の種は、土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。」岩地ですから、土はあります。でも、下はすぐ岩です。土が浅く、6節「日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。」

 これをイエスは20、21節でこう説明されます。「また岩地に蒔かれたものとは、御言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐに躓いて(つまずいて)しまいます。」

 このタイプの人は、御言葉を聞いて興味を持ち、すぐ飛びつき、熱心に信じ、喜びます。けれども、聖書の深い知識やキリスト教教理の掘り下げ、実生活への適用という信仰の根を深く下ろしませんので、しばらくは信じていても、試練に遭うと「こんなハズではなかった」と信仰を捨てます。非常に熱心かと思えば、次の時には別人のように暗くて陰気です。御言葉、福音の捉え方が浅いのです。21節「自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐに躓いて」しまうのです。

 深く根を張った信仰かどうかは、困難に遭った時にハッキリします。このタイプの人は、その時、21節「躓いてしまう。」「もう私はイエス・キリストも信仰も分からない。教会で祈り、説教を聞いても、問題は解決しそうにない」とすぐ結論を出します。ヘブル10:36は「あなた方が神の御心を行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です」と教えますが、根が浅いために、忍耐心がありません。何と残念でしょう。

 第三のものは7節です。「別の種は茨の間に落ちたが、茨が伸びて塞いでしまった。」

 「茨の間」とありますが、ギリシア語原文では「茨の上」です。つまり、見た目は耕された良い土地ですが、茨の根などが土の中に埋まったままなのです。

 これについて、イエスは22節で説明されます。「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑が御言葉を塞ぐため、実を結ばない人のことです。」

 このタイプの人は御言葉を結構よく聞きます。しかし、この世のことに関心が強く、またこの世的なことに深く関わりすぎて、神の前に不要なものをいっぱい抱えたまま生きる人です。その結果、22節「この世の思い煩いと富の誘惑が御言葉を塞ぐため、実を結ばない人」です。何と残念でしょうか。6:24のイエスの御言葉、「誰も二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなた方は、神と富とに仕えることはできません」を思い出します。

 では、私たちはどうあるべきでしょうか。第四の良い土地のようであることです。8、9節「別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。耳のある者は聞きなさい。」

 そしてイエスは説明されます。23節「良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人のことであり、本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

 具体的には、私たちはどうあるべきでしょうか。初めの三種類の種の譬えから、三つ教えられます。第一は、御言葉をなかなか受け入れない自分の頑なさを神に打ち砕かれ、よく耕された土地のように柔軟な心にされることです。私たちの心は、踏まれて固くなった道端のように、知らない内に凝り固まっていることがあります。育った環境、自分の選んだ生き方、ある種の知識や経験が、私たちの心を頑なにしていることが少なくありません。それが良いことでの固さやこだわりならいいのですが、神の前で意味のない頑なさなら、御言葉はサタンに奪われます。

 ですから、私たちは繰り返しこう祈りたいと思います。「主よ、私の心を砕き、謙虚な心にして下さい。御言葉がいつも素直に私の心に入り、あなたの喜ばれる実を豊かに結ぶためです。」神は言われます。イザヤ57:15「私は…砕かれた人、謙った(へりくだった)人と共に住む。謙った人たちの霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」

 第二は、御言葉を自分の内に深く根付かせることです。御言葉を表面的に「これは好き。これは難しくて好きではない」などと感覚で扱うのではなく、大切な教えはメモをし、心で何度も反復するのです。聖書を暗記し、教理を掘り下げ、実生活に適用して、信仰の根を深く下ろすことです。御言葉が深く根を下ろしていますと、困難や試練に遭っても耐えることができます。

 私は大変辛かった時、心に刻んでいたⅠコリント10:13の御言葉、「あなた方が経験した試練は皆、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなた方を耐えられない試練に遭わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えていて下さいます」と、ローマ8:28「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています」により、何度も支えられて来ました。

 第三は、天と地を造られた生ける真(まこと)の神と救い主イエス・キリスト、またウェストミンスター小教理問答の問1が言う、人の主な目的、つまり「神の栄光を現し(或いは、たたえ)、永遠に神を喜ぶこと」と関係がなく、茨となる不要なものを、自分の中からキッパリ取り除くことです。

 農夫は豊かな収穫を期待して、せっせと雑草を抜きます。同じように、神に喜ばれる人生を歩む上で、私たちは大切なものを獲得すると共に、不要なものを捨て去ることが不可欠です。神の国と全然関係がなく、サタンの罠となる世の思い煩いや富、名声、自分を誇りたいといった肉的な欲、悪い習慣などと決別することは、どんなに大切でしょうか。

 御言葉を聞いて悟る、つまり、心と生活に御言葉が育ち、神に喜ばれ、自分にも喜びとなる実を結ばせて頂くために、第一に常に砕かれ謙った心、第二に御言葉を深く受け入れる熱心を求め、第三に不要なものを捨てたいと思います。

 神の栄光のために、こうして感謝や賛美や献げ物という神の喜んで下さる実を、30倍、60倍、100倍と、ご一緒に豊かに結ぶ者にされるなら、どんなに幸いでしょうか。そういう信仰を是非、皆で励まし合っていきたいと思います。

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