2024年10月24日「試練19 苦しみの意味-蝶-」

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試練19 苦しみの意味-蝶-

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 119章71節

聖句のアイコン聖書の言葉

119:71 苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたの掟を学びました。
詩編 119章71節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も試練について学びます。19回目となります。

 今お読みした所は、今までも何度か取り上げ、私たちもよく知っている御言葉(みことば)だと思います。もう一度読んでみます。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたの掟を学びました。」

 改めて言うまでもなく、私たちがこの世で生きて行くことには、必ずといって良いほど、私たちを戸惑わせ、苦しめ、悲しませる問題が伴います。時には、思いがけない人たちからビックリするような非難や抗議を受け、何をどう話そうとも取り付く島もなく、全く耳を傾けてもらえないという悲しい辛いこともあるでしょう。また私たちには、突然、予期しない事故とか病気、あるいは厄介なトラブルや事件に遭遇し、いつの間にか巻き込まれていたというようなこともあります。

 そういう時、私たちは当然うろたえ、慌て、困惑し、自分を失いそうになります。そして、どうしてこんなことが起り、こんな風になってしまったのかと、そういう苦しみや悲しみ、辛さやといった試練の原因を一生懸命考えます。しかし、分らない。心底納得できるようなことは、どう考えても思い浮かばない。すると私たちは苛立ち、周りに八つ当たりをしたりします。けれども、そういう自分がまた情なく、一層惨めな思いになって落ち込み、あるいは黙り込んでしまいます。

 先程お読みしました聖書の御言葉は、今から二千数百年前に作られたものですが、この部分を歌った詩篇作者も何か非常に辛い体験をし、苦しみました。それが解決したのか、しなかったのかは分かりません。がとにかくその辛さ、痛み、不安などの苦しい体験の後、苦しみの原因そのものよりも、むしろ苦しみの意味、もしくは苦しみの意義に気づかされたと言い、「あなたの掟」、すなわち、神の深い聖い(きよい)御心(みこころ)が今まで以上によく分り、感謝を覚えたと、神への祈りの中で告白しました。

 

 そしてこの祈りの言葉は、その後、古代イスラエルの礼拝で歌われる賛美歌の中に取り入れられ、多くの人に歌い継がれ、長い苦難の歴史の中でも彼らの信仰を支え続けたのでした。これ以上のことは分りませんが、いつの時代の者にとっても、大変大事なことをここから教えられると思います。

 もう随分前に人から聞いた話ですが、一人の小さな男の子がある時、庭で蝶のサナギを発見し、その子はとても喜びました。ジッと見ていますと、丁度、背中に小さな穴が開いて、蝶が中から出ようとしているところでした。しかし、なかなか出られない。蝶は一生懸命頑張っているようですが、穴はホンの少し大きくなるだけで、出られそうにありません。

 そこで、その子は家へ帰って鋏を持ってきました。穴を鋏で大きくしてやれば、蝶は簡単に出られるだろうと考えたのでしょう。男の子はサナギの穴を少し大きくしてやりました。すると案の定、蝶は楽に外に出られました。その子は大喜びでした。

 ところが、蝶は大きな胴体と小さく縮んだ羽根のままで、決して空を飛ぶことはありませんでした。飛べなかったのです。

 サナギの殻から外へ出るために、蝶は一生懸命もがき、苦しみます。大変なのです。しかし実はそのことを通して、蝶の大きな胴体の中にある体液が羽根の隅々にまでしっかり送られ、それで胴体は小さくなると共に、一方で、羽根は美しく大きく伸びて、蝶は空を自由にスイスイ飛べるようになっているのだといいます。

 私たちの人生にもしばしば辛く、苦しく、悲しいことの中に大切なことが教えられていたり、それらを通してとても大切なことが私たちの上に起るようなことがよくあると思います。この詩篇119:71を歌った作者のように、またこれを現実の厳しい迫害や苦難の続く歴史の中で連綿と歌い継いだ古代イスラエルの信仰者たちのように、私たちも辛い試練の中で、私たちを永遠のご計画と摂理により導いておられる生ける真(まこと)の神をこそ、是非、意識的に見上げたいと思います。

 特に神の御子イエスが、ただ私たちへの愛の故に私たちの罪をことごとく背負い、人が千回死ぬよりも苦しいと言われるあの十字架で尊い命を献げて下さったことによる贖いの恵みと永遠の命の祝福に、主イエスを信じ、主を心にお迎えして、是非与りたいと思います。

 そうして、その時は辛くてパニックを起しやすい弱い私たちですが、ついには詩篇119:71「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたの掟を学びました」と心から神に祈り、告白できる者にされ、また試練に苦しんでおられる他の方々もいつかこう言えるように、私たちがそのために役立つ者にされればと願います。

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