2024年10月10日「試練18 喪失の悲しみと回復」
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試練18 喪失の悲しみと回復
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
ヨハネによる福音書 11章33節~35節
聖書の言葉
11:33 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、
11:34 「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。
11:35 イエスは涙を流された。ヨハネによる福音書 11章33節~35節
メッセージ
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試練について18回目の今日は、喪失の悲しみと回復について、少し学びたいと思います。
私たちの人生は、色々なものを新たに身につける獲得の面があると同時に、色々なものを喪失する面が必ずあります。そして、喪失にも、割合早く受容出来る場合もあれば、暴力的にもぎ取られたようで、いつもでも非常に辛いものもあります。健康を、あるいは体やその一部を、更には体の重要な機能の一部を失うとか、配偶者・両親・子供・孫など愛する家族を失うという、誰もが人生で大なり小なり必ず味わう辛い喪失があります。それ以外にも、私たちが一生懸命大切にして来たものを失うという痛み、悲しみもあります。
こういうことは、何故、人生に起るのでしょうか。根本的なことを言えば、聖書は造り主なる真(まこと)の神に対する私たち人類の背きの罪と不信仰の結果生じた、と教えます。
と同時に聖書は、これらを乗り越えさせる御子イエス・キリストを通しての神の深く豊かな恵みのあることも教え、私たちを慰め、助けようとしています。
こういう聖書の教えに基づき、また実際に大勢の病人に関ってきたある牧師の書いた本が2007年10月に翻訳・出版されました。グレンジャー・E・ウェストバーグ著『すばらしい悲しみ(原題は「Good Grief」…良い悲嘆)です。1962年のかなり古い本ですが、全世界で200万部以上売れ、グリーフ・ケアの古典的書物だといいます。
最近ではR・ニーマイアー著の『<大切なもの>を失ったあなたに 喪失をのりこえるガイド』が有名ですが、日本ではA・デーケン神父のものが有名であり、家族を失う悲嘆の回復の12段階のプロセスを上げた本があります。
ウェストバーグのものは10段階を上げます。ご紹介します。第一にショック状態に陥る。第二に感情を表現し、特に激しく泣く。第三に憂鬱になり孤独を感じる。第四に悲しみが身体症状として現れる。第五にパニックに陥る。第六に喪失に罪責感を抱く。第七に怒りと恨みで一杯になる。第八に元の生活に戻ることを拒否する。第九に徐々に希望が湧いて来る。第十に現実を受け入れられるようになる。
デーケン神父のものとは少し違いますが、これはこれで教えられます。
この本を読むと、何がどう変るのかという所があります。大切なことを述べていますので、紹介致します。
第一に、以前よりいくらか心が成熟し、悲しみの体験を抜け出すことができる。
第二に、絶望の淵を体験し、それがどんなものかを知ったことで、より深みのある人間になれる。
第三に 険しい山道を登ることで、心の筋肉を使うことを覚え、より強くなれる。
第四に 悲しみの暗い谷間を通り抜けることで、人間を深く理解し、他者をより効果的に助けられるようになる。
私も、聖書全体と照らし合わせて改めて教えられた点があります。それを四つ申し上げたいと思います。
第一に、当然のことですが、信仰の強い人には悲しいことなど起らないなんていうことは決してなく、辛い悲しみの体験は、信仰があってもなくても誰にも起る自然なことだという点です。
第二に、悲しみは色々な表れ方をしますが、悲しみは自然なことだという点です。例えば、上記の第二段階に、感情的に激しく泣くという点があります。信仰の強い人は感情的に取り乱したり泣いたりしないと思う人が、結構多いように思います。しかし、聖書はどう伝えているでしょうか。
神に愛された信仰者・ダビデ王は、謀反を起した息子のアブサロムが殺されたことを知りますと、Ⅱサムエル18:33は「身を震わせ、…泣いた」と伝えています。
いいえ、誰よりも私たちの主イエスは、愛する若者ラザロが死んだ時、どうだったでしょうか。ヨハネ福音書は「心を騒がせ」(11:33)、「涙を流された」(11:35)と伝えています。
聖書が伝えますように、悲しみ泣くのは人として全く自然なことなのです。従って、著者のウェストバーグが、感情をいたずらに封じ込めるのは、かえって自分自身を傷つけることだ、とアドバイスしている点は、聖書的に見て大切だと思います。
第三に、喪失の悲しみは自然なことですが、病的な場合と健全な場合とがあり、注意も必要です。しかし、いずれにせよ、回復のためには誰かが傍にいて助けて上げる必要があるという点です。人間は皆、周囲からの愛情と励ましを必要としているのです。
第四に、悲しみの体験が良いものになるか悪いものになるかは、私たち自身の人生の捉え方にかかっていて、そこに御子イエスを十字架につけ、救い主としてお与え下さった程に私たちを真に愛しておられる神への信仰の有無が大きく関ってくるという点です。
以上のことを少しでも心に留め、私たち自身もそうですが、特に喪失の悲しみの中にある方々に、少しでも主の御心に沿った形で寄り添うことを許されたいと思います。