聖書の言葉 伝道者の書7:14 順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。コヘレトの言葉 7章14節 メッセージ イエス・キリストへの信仰が私たちにもたらす最大の祝福は、私たちが全ての罪を赦され、神の子とされ、永遠の命に与ることです。しかし、祝福は他にも豊かにあります。ガラテヤ5:22、23は言います。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」 「御霊の実」とは、神の御子イエスを自分の救い主と信じる信仰者の内面に新しく作られる清い性質のことです。主イエスと共に生き、神の愛とご計画を常に考えることを通して、御霊が私たちの内面に結ばせて下さるものです。 ここが上げている九つの実はどれも素晴らしく、尊いものばかりです。これらが私たちの内面に形成されていくなら、どんなに幸いでしょうか。 以前、テレビが取材して放映しましたが、人の10倍の速さで歳を取るプロジェリアという難病を持つアシュリー・ヘギという方がカナダのアルバータ州におられました(1991年5月生れ)。時々強い痛みがあり、具合が徐々に悪くなられて、2009年4月、17歳で天に召されました。 その彼女が書かれた『アシュリー』という本があります。顔や体はどう見ても100歳位のお婆さんにしか見えませんが、実際にはその時、彼女はまだ14歳でした。しかし、そんな辛い人生を歩んでこられた彼女の言葉から、大切なことを私は色々教えられました。彼女の信仰を思いますと、まさにこれらは先程申しましたキリスト信仰が、言い換えれば、御霊が結ぶ実だと思います。そこで、彼女の文章を、少し長いですが紹介致します。 「『おい、見てみろ。エイリアンがいる』と言われたり、ジロジロ見られたりすることはあるけど、私はそんなこと気にしない。だって、彼らが私をからかおうと思ってやっているんじゃないことは分っているから。彼らはプロジェリアを知らないだけ。彼らは、私が誰か知らないし、プロジェリアが何かも知らない。でも、それは彼らのせいじゃない。そんなの、皆が知っているわけじゃないもの。 プロジェリアでなければいいのに、なんて思わないわ。私は私という人間であることが幸せだし、神様が私をこうお造りになったのには、きっと理由があるはずだから。多分神様は、「私はプロジェリアだけど、こう生きている」ということを人に見せる機会を私に与えられたのだと思う。多分神様は、私に他の人を助けさせようとして、私にプロジェリアを許されたのだと思う。 悲しい映画を観た時は泣くわ。でも普段、人の前では泣かない。もし悲しくて泣きたくなったら、私の部屋のような静かな所へ行って、祈るの。一人になって祈っていると、段々気持が静まり、泣かないですむの。 少し前、ママには辛い時があった。私がママより早く死に、私を失うと思ったのよ。とても辛そうだった。…でも今ママは信仰を得て神に救われ、たとえ私が先に死んでも、天国で会えるんだから、何の心配もいらないって分って、苦しい時期を乗り越えたの。いつの日か、天国でまた会えるんだもの。悲しまなくていいのよ。 私は死ぬのを怖いとは思わない。もし誰かが私に、あなたには後24時間の命しかないと言っても、私は怖くない。死は誰にでも訪れるもの。恐れる必要がないことを、私は知っているわ。 なぜ私たちがここにいるのかを私は知らない。でも何か目的があると思う。 私はハッピーに生きたい。他の人を勇気づけるように生きたい。 私の命のことで神に感謝します。家族の健康と安全のことで神に感謝します。今日一日、無事に過せて神に感謝します。ひどい胸の痛みや頭痛や関節炎の痛みがなくて、神に感謝します。 私がどうなりたいかって?ハッピーで人を勇気付ける人になりたい。人の助けになれる人になりたい。愛情溢れた人になりたい。」 大変な試練の続く中、彼女の前向きで健康的な心に驚きます。まさに、ガラテヤ5:22、23「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という御霊の実が結んでいることを思わないではおられません。しかし、どのようにして彼女はこうなったのでしょうか。 彼女の本から思うのは、彼女はどんな時にもどんな場合でもただ考えるのでなく、神の大きな愛とご計画をキチンと覚える信仰に立って考えていることです。信仰に立って考える。何と大切でしょうか。伝道者の書7:14は言います。「順境の日は幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。…」 私たちも、神の愛とご計画を覚える信仰に立ってよく考え、主イエスと共に歩みたいと思います。常に主を見上げて御霊の実を頂き、彼女のように自分と物事を冷静に見つめ、幸せで人を勇気付け、人の助けになり、愛情に溢れた人になりたいとの思いを、是非、強められたいと思います。 関連する説教を探す 2024年の祈祷会 『コヘレトの言葉』
イエス・キリストへの信仰が私たちにもたらす最大の祝福は、私たちが全ての罪を赦され、神の子とされ、永遠の命に与ることです。しかし、祝福は他にも豊かにあります。ガラテヤ5:22、23は言います。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
「御霊の実」とは、神の御子イエスを自分の救い主と信じる信仰者の内面に新しく作られる清い性質のことです。主イエスと共に生き、神の愛とご計画を常に考えることを通して、御霊が私たちの内面に結ばせて下さるものです。
ここが上げている九つの実はどれも素晴らしく、尊いものばかりです。これらが私たちの内面に形成されていくなら、どんなに幸いでしょうか。
以前、テレビが取材して放映しましたが、人の10倍の速さで歳を取るプロジェリアという難病を持つアシュリー・ヘギという方がカナダのアルバータ州におられました(1991年5月生れ)。時々強い痛みがあり、具合が徐々に悪くなられて、2009年4月、17歳で天に召されました。
その彼女が書かれた『アシュリー』という本があります。顔や体はどう見ても100歳位のお婆さんにしか見えませんが、実際にはその時、彼女はまだ14歳でした。しかし、そんな辛い人生を歩んでこられた彼女の言葉から、大切なことを私は色々教えられました。彼女の信仰を思いますと、まさにこれらは先程申しましたキリスト信仰が、言い換えれば、御霊が結ぶ実だと思います。そこで、彼女の文章を、少し長いですが紹介致します。
「『おい、見てみろ。エイリアンがいる』と言われたり、ジロジロ見られたりすることはあるけど、私はそんなこと気にしない。だって、彼らが私をからかおうと思ってやっているんじゃないことは分っているから。彼らはプロジェリアを知らないだけ。彼らは、私が誰か知らないし、プロジェリアが何かも知らない。でも、それは彼らのせいじゃない。そんなの、皆が知っているわけじゃないもの。
プロジェリアでなければいいのに、なんて思わないわ。私は私という人間であることが幸せだし、神様が私をこうお造りになったのには、きっと理由があるはずだから。多分神様は、「私はプロジェリアだけど、こう生きている」ということを人に見せる機会を私に与えられたのだと思う。多分神様は、私に他の人を助けさせようとして、私にプロジェリアを許されたのだと思う。
悲しい映画を観た時は泣くわ。でも普段、人の前では泣かない。もし悲しくて泣きたくなったら、私の部屋のような静かな所へ行って、祈るの。一人になって祈っていると、段々気持が静まり、泣かないですむの。
少し前、ママには辛い時があった。私がママより早く死に、私を失うと思ったのよ。とても辛そうだった。…でも今ママは信仰を得て神に救われ、たとえ私が先に死んでも、天国で会えるんだから、何の心配もいらないって分って、苦しい時期を乗り越えたの。いつの日か、天国でまた会えるんだもの。悲しまなくていいのよ。
私は死ぬのを怖いとは思わない。もし誰かが私に、あなたには後24時間の命しかないと言っても、私は怖くない。死は誰にでも訪れるもの。恐れる必要がないことを、私は知っているわ。
なぜ私たちがここにいるのかを私は知らない。でも何か目的があると思う。
私はハッピーに生きたい。他の人を勇気づけるように生きたい。
私の命のことで神に感謝します。家族の健康と安全のことで神に感謝します。今日一日、無事に過せて神に感謝します。ひどい胸の痛みや頭痛や関節炎の痛みがなくて、神に感謝します。
私がどうなりたいかって?ハッピーで人を勇気付ける人になりたい。人の助けになれる人になりたい。愛情溢れた人になりたい。」
大変な試練の続く中、彼女の前向きで健康的な心に驚きます。まさに、ガラテヤ5:22、23「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という御霊の実が結んでいることを思わないではおられません。しかし、どのようにして彼女はこうなったのでしょうか。
彼女の本から思うのは、彼女はどんな時にもどんな場合でもただ考えるのでなく、神の大きな愛とご計画をキチンと覚える信仰に立って考えていることです。信仰に立って考える。何と大切でしょうか。伝道者の書7:14は言います。「順境の日は幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。…」
私たちも、神の愛とご計画を覚える信仰に立ってよく考え、主イエスと共に歩みたいと思います。常に主を見上げて御霊の実を頂き、彼女のように自分と物事を冷静に見つめ、幸せで人を勇気付け、人の助けになり、愛情に溢れた人になりたいとの思いを、是非、強められたいと思います。