主の祈りの学び17 第三祈願 5
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 マタイによる福音書 6章9節~13節
6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
(新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節
主の祈りの第三祈願の学びを今日で終ります。
何度も申しますが、信仰の先輩たちが、教会や礼拝、また個々のクリスチャンの信仰と生活の根幹となる主の祈りをどう受け留め、告白し、或いは信徒に教育しようとしたかを学ぶことは、何と大切でしょうか。
今日は、ウェストミンスター大教理問答(1647年作成。宮﨑彌男訳)問192を見ます。ウェストミンスター神学者会議に集った人々の信仰を通して、主(しゅ)は大切なことを私たちにお教え下さいます。全文を読みます。
「問 第三の祈願において、私たちは、何を祈るのですか。
答 第三の祈願において、私たちは、自分たちも全ての人々も、生れながら神の御心を知ることも行うことも全 くできず、そうする気持も全然持ち合わせていないだけでなく、御言葉に逆らい、神の摂理に対して愚痴をこ ぼしたり、つぶやいたりしがちであり、肉の欲すること、悪魔の意図することを行う傾向性に完全に染まって いる者であることを認めた上で、次のことを祈ります。すなわち、神が、御霊によって、私たち自身や他の人々から心の暗さ、弱さ、無気力、ねじれを全て取り除いて下さり、更に、恵みによって、天使たちが天でそうしているように、同様のへりくだり、歓喜、忠実、勤勉、熱心、誠実、持続性をもって、私たちも、万事につけて神の御心を知り、行い、それに従うことができるように、また、喜んでそうするものとして下さるように、ということです。」
「御心の天になる如く、地にもなさせ給え」という第三祈願について、大教理は大きく三つの点を教えていると言えます。
第一に、私たち人間が皆、本質的には神から遠く離れ、神の御心を知ること、行うことに、如何に無力であるかを徹底的に認識すべきだ、という点です。その部分を再度読みます。「第三の祈願において、私たちは、自分たちも全ての人々も、生れながら神の御心を知ることも行うことも全くできず、そうする気持も全然持ち合わせていないだけでなく、御言葉に逆らい、神の摂理に対して愚痴をこぼしたり、つぶやいたりしがちであり、肉の欲すること、悪魔の意図することを行う傾向性に完全に染まっている者であることを認めた上で」と。
細かい説明は省きます。大教理はいわゆる人間の全的堕落、全的無能力の事実を、まず徹底的に自覚すべきことを教えます。
主の祈りの中でも、第三祈願は、御心を行い、御心に従うという特に私たちの意志と行動とに関係します。それだけに、大教理は全てに先立ち、私たち人間の全的堕落、全的無能力の悲惨さをまずしっかり自覚させます。何故なら、その自覚からこそ、神の豊かな救いの恵みは私たちの内で始まるからです。この意味で、大教理の記述は見事であり、私たちに極めて大事なことを確認させます。
第二に大教理は、神の御心を私たちが行い、あるいは御心に私たちが従うことが出来るために、<御霊>によって神が私たちの内にある罪の様々な悪しき影響を全部取り除いて下さるようにと、心底願うべきことを教えます。その部分をもう一度読みます。「神が、御霊によって、私たち自身や他の人々から心の暗さ、弱さ、無気力、ねじれを全て取り除いて下さり」と。
大教理は、ハイデルベルク信仰問答同様、「他の人々」のことにも言及します。当然と言えば当然ですが、ウェストミンスター神学者会議の出席者たちも、第三祈願の中に隣人愛を覚えることを決して忘れませんでした。どうかすると、私たちの祈りは、自分を中心とする狭い範囲のことに縮こまりがちです。しかし大教理は、ここでも大切な隣人への愛と配慮を促し、私たちの祈りを広げさせます。
そして、大教理は具体的に、私たちの「心の暗さ、弱さ、無気力、ねじれ」を上げます。これらはどれも皆、私たち罪人のどうにもならない、生れながらの腐敗した部分ですが、「御霊によって…全て取り除いて下さり」と、私たちを聖化して下さる御霊に言及し、ここに希望のあることを教え、私たちを励まします。何と感謝なことでしょう。
最後第三に、大教理は、ハイデルベルク信仰問答同様、天使たちに言及し、私たちの信仰を促します。その部分を読みます。「更に、恵みによって、天使たちが天でそうしているように、同様のへりくだり、歓喜、忠実、勤勉、熱心、誠実、持続性をもって、私たちも、万事につけて神の御心を知り、行い、それに従うことができるように、また、喜んでそうするものとして下さるように、ということです。」
喜んで生き生きと神に仕えている天使たちを心に覚え、自分たちも是非そうでありたいというウェストミンスター神学者会議の出席者たちの誠実かつ熱い信仰を思います。
前回にも申しましたが、今、私たちは、神のそばで「へりくだり、喜び、忠実、勤勉、熱心、誠実、持続性」をもって神の御心に仕えている天使たちを、どれ位、心に思うことがあるでしょうか。とても大切なことを改めて教えられます。
第三祈願を、新たな自覚の下にしっかり神に捧げたいと思います。