2024年06月16日「悔い改めない者の不幸」

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悔い改めない者の不幸

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 11章20節~24節

聖句のアイコン聖書の言葉

11:20 それからイエスは、ご自分が力ある業(わざ)を数多く行った町々を責められた。彼らが悔い改めなかったからである。
11:21 「ああ、コラジン、ああ、ベツサイダ、お前たちの間で行われた力ある業が、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布(あらぬの)をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
11:22 お前たちに言う。裁きの日には、ツロとシドンの方が、お前たちよりも裁きに耐えやすいのだ。
11:23 カペナウム、お前が天に上げられることがあろうか。陰府にまで落とされるのだ。お前の内で行われた力ある業がソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。
11:24 お前たちに言う。裁きの日には、ソドムの地の方が、お前よりも裁きに耐えやすいマタイによる福音書 11章20節~24節

原稿のアイコンメッセージ

 10章で私たちは、主イエスが12使徒を伝道に遣わす時に語られた注意を学び、11:1が伝えるようにイエスと彼らは町々で伝道し、次にそれに対する洗礼者ヨハネと群衆の反応を見てきました。今朝は、主イエスの御業(みわざ)にガリラヤの三つの町が示したその反応に対する主の厳しい言葉を学びます。

 20~22節を読みます。「それからイエスは、ご自分が力ある業(わざ)を数多く行った町々を責められた。彼らが悔い改めなかったからである。『ああ、コラジン、ああ、ベツサイダ、お前たちの間で行われた力ある業が、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布(あらぬの)をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。お前たちに言う。裁きの日には、ツロとシドンの方が、お前たちよりも裁きに耐えやすいのだ。』」

 確認しておきます。ここで「力ある業」と言われているのは、奇跡と福音宣教を意味します。ご自分と弟子たちの業・働きをまとめて、イエスは5節で「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちが清められ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられて」いるとおっしゃったのでした。福音を伝えることも、主イエスには、奇跡同様、力ある業なのです。ですから、今日、私たちがイエス・キリストと聖書の教えの一端をでも人に話すことは、神の前では、力ある業であることを、よく心に留めておきたいと思います。

 さて、イエスがガリラヤの町コラジンとベツサイダとカペナウムの住民を大変厳しく叱責されたことを見たいと思います。

 21節で「ああ」と訳されているのは「災いだ!恐ろしい!」という意味のギリシア語です。イエスにそう言われたコラジンは、今、ガリラヤ湖の北西約4Kmにあるケラーゼと呼ばれる廃墟になっています。またベツサイダは、ヨルダン川が北からガリラヤ湖へ注ぐ所の東にあるベツサイダ・ユリアスという所か、西にあったカペナウムの町から近い所ではないかと言われています。どちらも今は単に丘になっています。更に、カペナウムも今はテル・フームと呼ばれる丘でしかありません。

 まずイエスは、コラジンとベツサイダの不信仰を、ツロとシドン、つまり、ユダヤから西へ数10Km離れた地中海沿岸のフェニキア人の、つまり、異邦人の町と比較されました。

 旧約聖書のイザヤ書23章やエゼキエル書26~28章は、貿易で栄えたツロの傲慢さを伝え、エゼキエル書27:3や28:2によりますと、「私は美の極み…私は神だ。私は海の真ん中で神の座に着いている」とツロは豪語し、ヨエル書3:6はツロとシドンがユダとエルサレムの住民を奴隷としてギリシア人に売ったことも伝えています。彼らがどんなに傲慢で残酷であったかを、ユダヤ人であるコラジンとベツサイダの人々も当然知っていたでしょう。

 ところが、イエスは彼らに対し、「裁きの日にはお前たちよりツロとシドンの方がまだ軽い罰で済む」と言われたのでした。

 カペナウムには更に厳しく語られました。マタイ10:23「カペナウム、お前が天に上げられることがあろうか。陰府にまで落とされる」と。

 これは、昔、傲慢と残虐性を極めたバビロンへの裁きの預言とよく似ています。イザヤ書14:13~15はこう述べました。「お前は心の中でいった。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、……いと高き方のようになろう。』だが、お前は陰府に落とされ、穴の底に落とされる。」

 イエスはこの預言の言葉をカペナウムに当てはめ、またその不信仰をソドムの町と比較されたのでした。

 ソドムは、ゴモラと共に死海に面した南東部の低地にあり、創世記19章が伝えますように、不道徳のため、神が硫黄の火によって滅ぼされ町でした。かつて、信仰者アブラハムは、ソドムに甥のロト一家が住んでいましたので、「正しい人が10人でもそこにいるなら、町を滅ぼさないで下さい」と一生懸命神に願いました。しかし、僅か10人さえもいなかったため、滅ぼされたのでした。ソドムは今、死海の水面下に沈んでいるようです。

 ところが、イエスはカペナウムに言われます。23、24節「お前の内で行われた力ある業がソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。お前たちに言う。裁きの日には、ソドムの地の方が、お前よりも裁きに耐えやすい」と。何と厳しい叱責でしょうか。

 では、滅んでしまったこれらのガリラヤの町は、どうして、これ程の叱責を受けたのでしょうか。理由は何なのでしょう。それは、主イエスと弟子たちによる福音の宣教や御言葉の説教を含む多くの力ある恵みの業に接しながらも、彼らが悔い改めなかったからです。

 イエスは、カペナウムをガリラヤ伝道の拠点とされました。コラジンとベツサイダも他の町以上に恵みを受けました。数多くイエスの教えを聞き、病人の癒しを目撃し、力ある業に沢山触れ、大変恵まれていました。それにも関らず、これらの町は、事実、厳しい裁きを受けたのです。どうしてなのでしょう。

 罪深いツロやシドンやソドムは、神の御言葉と御業に触れる機会がありませんでした。しかし、先程見ましたガリラヤの三つの町の住民は、神の素晴らしい恵みと特権に与りながら、罪と不信仰を悔い改めず、自分を低くして心から神を仰ぐことも、神と人に喜んで仕える神中心のきよい生き方もしなかったのです。ユダヤ人としての選民意識に胡坐(あぐら)をかいていたのかも知れません。

 

 特に主イエスのガリラヤ伝道の拠点でしたカペナウムの人々は、イエスと弟子たちの姿を何度も見、その教えに驚き、喜び、文字通りの驚くべき奇跡もいっぱい目撃し、他の町の人に自慢したかも知れません。ところが、恵まれていることが信仰と結び付かなかったのでした。恵みを豊かに与えられているなら、それだけ自分の怠惰や愛の欠けや不信仰を悔い改め、一層へりくだって神に感謝し、神と人に愛をもって誠実に仕える真実な信仰生活へ変るものです。しかし、そういう変化が彼らには起りませんでした。ですから、ここまで厳しいことを言われたのです。

 ここに大切なことを私たちは教えられます。

 一つは、私たちが人に福音を伝え、イエス・キリストを証しすることは、その反応次第で人を救いか裁きかへ二分するぐらい重大なことである、ということです。「あなたの自由です。信じても信じなくてもいいですよ」などと、本当は決して軽々しく言えない重いことであることを、しっかり認識していたいと思います。パウロはコリント人への手紙 二 2:15、16でこう言いました。「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しい(かぐわしい)キリストの香りなのです。滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、命から出て命に至らせる香りです。」こういう認識と畏れをもって、自分を常に整えておきたいと思います。

 第二に私たち自身も特に御言葉の聞き方に十分注意したいと思います。

 コラジンやベツサイダやカペナウムの人々も、天地を創られた生ける真(まこと)の神を自分は知り、信じていると思っていました。安息日には会堂で礼拝し、時々、主イエスの説教も聞き、イエスによる神の驚くべき恵みの奇跡もいっぱい見てきました。

 けれども、悔い改めて自分を変えられたいとは思わず、そのままでした。奇跡を見れば、人は神、あるいはイエス・キリストを信じるかというと、違うのです。そういうことだけで信じるような信仰は、結局、浅いご利益(ごりやく)信仰の域を越えないのです。

 そういうことではなく、マタイ5:3以降でイエスが語り描かれた真に(しんに)幸いな人、すなわち、5:3、心が貧しく、つまり、神の御前(みまえ)にとことん謙虚で、4節、自分の罪に深く悲しみ、5節、人に対して柔和で、6節、義に飢え渇き、7節、憐れみ深く、8節、心が常に神に向けられてきよく、9節、平和を自ら造り出そうとする者に、「自分は変えられたい」という熱い心こそが大切なのです。

 悔い改めとは、イエス・キリストを通しての神の一方的な愛による罪の赦しと救いの恵みに、魂を揺さ振られ、罪と不信仰から自分がもっときよめられ、神に喜ばれる者に変えられたいと願うことであり、そういう御言葉の聞き方と生き方に自分が変えられるために、御霊の支配を切に求めることに他なりません。

詩篇51:10は祈ります。「神よ、私にきよい心を造り、揺るがない霊を、私の内に新しくして下さい。」私たちを愛しておられる主イエスが、何よりこのことをどんなに願っておられることでしょうか。

 イエスは確かに厳しいことを言われました。しかし、本当はどんなに悲しまれたことでしょう。のちにルカの福音書19:41は「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて」と伝えています。不信仰で罪深かったユダヤの都、エルサレムの行く末(紀元70年、ティトスに率いられたローマ軍による攻撃・殺戮・破壊。ローマに対するバル・コクバの反乱で始まったユダヤ第二戦争の結果、紀元135年の徹底的破壊)をご存じだった主イエスは涙を流して泣かれたのでした!

 主イエスの厳しい言葉の背後に、私たち罪人の救いを何よりも願っておられる主イエスの愛ゆえの悲しみと涙を覚え、私たちもこの主イエスの熱い愛に、悔い改めと服従とをもって、是非、お応えしたいと思います。

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