主の祈りの学び16 第三祈願 4
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 マタイによる福音書 6章9節~13節
6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
(新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節
暫く離れていましたが、今日は主の祈りの第三祈願の学びに戻ります。
前回同様、信仰の先輩たちが1563年に告白しましたハイデルベルク信仰問答を見ます。
問124 第三の願いは何ですか。
答 「御心の天になる如く、地にもなさせたまえ」です。すなわち、私たちや全ての人々が、自分自身の思い
を捨て去り、唯一正しいあなたの御心に、何一つ言い逆らうことなく、聞き従えるようにして下さい、そし
て、一人一人が自分の務めと召命とを、天の御使い(みつかい)のように、喜んで忠実に果たせるようにし
て下さい、ということです。」
前回は、「私たちや全ての人々が」とある所の、特に「全ての人々」という点に注目しました。今日はそのあとの言葉に注目します。
信仰問答は言います。「私たちや全ての人々が、自分自身の思いを捨て去り、唯一正しいあなたの御心に、何一つ言い逆らうことなく、聞き従えるようにして下さい」と。
特に説明の必要はないと思いますが、主を信じていても私たちの内に尚残っている腐敗した罪の性質を思いますと、信仰問答がこの点をかなり意識しながら詳しく丁寧に述べていることが分ります。
第一に「自分自身の思いを捨て去り」と言います。前にも申しましたが、とかく自分の考えや計画、願望など、まず「自分」が前面に出やすい私たちに信仰問答はストップをかけ、ハッキリと「自分自身の思いを捨て去り」と述べ、まず自分自身を後ろに下げるべきことを教えます。何と大切なことでしょうか。
第二に「唯一正しいあなたの御心に」と言い、改めて私たちに、唯一正しいのは神の御心なのだという最も重要な点をピシッと再確認させます。
さらにこれに続き、第三に「何一つ言い逆らうことなく」と、これまた何かと弁解がましく理由を口にしては、私たち人間が如何に、唯一正しい神の御心に言い逆らいやすい者であるかを指摘し、それをやめよと命じます。この辺りのハイデルベルク信仰問答の文言と指摘の適切さ、鋭さに驚きます。全くこの通りではないでしょうか。
そして第四に「聞き従えるようにして下さい」と、全能者なる天の神の導きとご支配に、罪人で信仰の薄い私たちと全ての人が自分自身を委ねることが出来るようにと、祈るべきことを教えます。
私がまだ20代の初めの頃でしたが、ある牧師が祈りの中で「我ら、このうなじ固き者」と言って、私たち罪人のどうしようもない頑なさを表現しておられたことを思い出します。実際、私たちは、何が神の御心で、またそうでないか、何が正しく適切で、またそうでないかが分っていても、それに従わず、突き進むことさえある、心の頑なな者、うなじ固き者ではないでしょうか。ヘブル3:8にも3:13にも4:7にも「頑なにならないように」と重ねて警告されていますが、そう言われなければならない位、事実、私たちには本当に頑なな点があります。ですから、信仰問答は、唯一正しい神の御心に、私たちが「聞き従えるようにして下さい」と、自分を神に明け渡し、神が私たちを打ち砕き、従わせて下さるようにと、神に祈り願うことを教えます。何と大切なことでしょう。
以上、どちらかと言うと消極的な面を見てきました。しかし、これで終りではなく、ハイデルベルク信仰問答は、そのあと、積極的な促しをして終ります。つまり、「一人一人が自分の務めと召命とを、天の御使いのように、喜んで忠実に果たせるようにして下さい」と神に祈ることを教えます。
第一に「一人一人が」と言います。つまり、神の御心に従うことを、私たちは他人事のように考えてはならず、あるいは一部の者だけが神の御心に従えば良いのでもなく、私たち個々人が自分のこととして、主の御心、特に自分の務めと召命とに従うのです。
第二に「天の御使いのように、喜んで忠実に果たせるようにして下さい」と祈ることを教えます。第三祈願には「御心の天になる如く」という部分があります。ここをハイデルベルク信仰問答は、「とにかく御心が天で行われるのと同じように、地でも行われるように」という感じの、抽象的な祈りで終ることを教えません。むしろ、想像を逞(たくま)しくして、「天の御使いのように、喜んで忠実に果たせるように」と、天使たちがいつでも喜んで忠実に御心に従っている姿を思い起し、イメージし、私たちも素晴らしい天使たちのように、御心に喜んで忠実に従えるようにして下さい、と積極的かつ具体的イメージと意識と熱心をもって神に祈ることを教え、励まします。
信仰の先輩たちのこうした生き生きとした信仰に、どんなに教えられることでしょう。私たちも、こういう信仰によって、天を仰ぎ、また御使いたちを覚えながら、「御心の天になる如く、地にもなさせ給え」と、是非、自らを神に差し出しながら祈りたいと思います。