2024年05月23日「不安と恐れの中で」

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不安と恐れの中で

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 136篇10節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

136:10 エジプトの長子を打たれた方に感謝せよ。
        主の恵みはとこしえまでも。
136:11 主はイスラエルをその地から導き出された。
        主の恵みはとこしえまでも。
136:12 力強い御手と伸ばされた御腕をもって。
        主の恵みはとこしえまでも。
136:13 葦の海を二つに分けられた方に感謝せよ。
        主の恵みはとこしえまでも。
136:14 こうして、主はイスラエルにその中を通らせられた。
        主の恵みはとこしえまでも。
136:15 ファラオとその軍勢を葦の海に投げ込まれた。
        主の恵みはとこしえまでも。詩編 136篇10節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 今日は「不安と恐れの中で」と題して御言葉に教えられたいと思います。

 私たちは人生でしばしば大きな問題に直面し、自分はもうこれで駄目になると思う危機的な時があります。そういう時こそ、真(まこと)の神を知っている者は、信仰の大切さを思うのですが、それさえも消え入りそうになる時があります。私たちはどうすれば良いのでしょうか。その答の一つを、今日は詩篇136から学びます。

 詩篇136は、恐らく古代イスラエル民族があの辛く悲惨なバビロン捕囚から紀元前538年に漸く解放され、パレスチナに戻った後に作られ、歌われたものだろうと推測されています。先祖からの、しかし今やすっかり荒廃した祖国に戻り、焼け落ちて崩れたままのエルサレム神殿も何とか再建しました。しかし、彼らを待っていたのは、相も変らない厳しい現実でした。折角喜んだのも束の間、近隣諸国からの武力による脅かしを初め、前途は多難でした。

 そんな中、彼らはどうしたでしょうか。ただ溜息をつき、挫けるだけだったでしょうか。違います。彼らは、かつて神が歴史の中で行われた偉大な救いの出来事を、意識的に思い起し、瞑想し、そうして神への信頼を取り戻そうとしたのでした。

 お読みしました詩篇136:10~15では、紀元前14世紀頃にイスラエルがエジプトから神によって脱出させられた、いわゆる出エジプトの奇跡的救いの出来事を、それも一つ一つ具体的に思い出しています。

 それだけではありません。今日は読みませんでしたが、5~9節では、神による壮大な天地創造の御業(みわざ)をも思い起し、こうして1~26節まで全節にわたり、「感謝せよ。主の恵みはとこしえまで」と何度も繰り返し、神への信頼を自らに促したのでした。

 旧約聖書の大部分は、人間の罪や頑なさ、不信仰、弱さと共に、この天地を無から造られた生ける真の神がイスラエルとの契約を覚えて、どんなに繰返し彼らを憐れみ救って下さったかという救いの歴史を伝えています。新約聖書は特に、神がご自分の御子イエス・キリストを救い主として遣わされ、人類を罪と滅びから救うために、どんなに愛と真実に満ちた偉大な救いの御業をなされたか、特にイエス・キリストの誕生、その生涯、全人類の罪の身代りの死としての十字架、そして復活という歴史上最大の出来事を伝えています。

 これは何のためでしょうか。私たちが神への信仰、信頼をしっかり築き上げ、或いは取り戻し、色々不安や恐れがあっても、なお明日、明後日に向って前進していけるためです!これは聖書が私たちに教える非常に大事な知恵の一つと言えます。

 私も洗礼を受けてから今年の3月17日で丸56年になりました。当然、色々体験もしてきました。「もう僕はこれで駄目になるのではないか」と絶望的な気持ちになり、信仰が消え入りそうになる惨めな思いになることもありました。しかしその都度、書が伝えますように、天地創造に見る神の無限の力、出エジプトに代表される神による驚くべき救いの事実、そして何よりご自分の御子イエスを十字架の死から復活させられた生ける真の神の全知全能の計り知れない愛と真実と力を、敢えて意識的に一つずつ確認するように思い起しました。そうして、「分らないこと」にではなく、聖書からもう一度確認させられた「分っていること」の上に自分自身を置きました。そして改めて「そうなのだ。やはり僕は神に信頼するのだ」と思いを新たにされ、励まされ、勇気を与えられて、色々な困難に対する不安と恐れを乗り越えられたこともありました。

 問題自体は依然として未解決で、それを抱えたままなのですが、私自身は神に支えられ、なすべきことや出来ることを一つ一つ行なっている中で、問題が終っていたことも何度かありました。

 これから先のことについて、私は決して偉そうなことを言う積りはありません。しかし、そうしようと思っていることだけは本当です。

 恐れや不安は、私たちが、いつどんな時代に、またどんな所に生きても、なくなることはないでしょう。けれども聖書は、こういう私たちが、それでも神への信仰に立って前進出来るように知恵を与えます。

 繰り返します。それは、聖書が証言している「神の恵み」、すなわち、神が歴史の中でなされた救いの業(わざ)をしっかり思い起し、改めてこの神を信じるという知恵です。そうして神の愛と力を確認し、神への感謝と信頼を繰返し強められながら、神から与えられた掛け替えのない夫々の命を、天に召される時まで精一杯生きて行きたいと思います。人間の弱さも体験された主イエスに背中を支えられながら、そうしたいと思います。

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