2024年04月28日「神と自分を知る幸い」

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神と自分を知る幸い

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
テモテへの手紙一 1章12節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:12 私は、私を強くしてくださる、私たちの主イエス・キリストに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命して下さったからです。
1:13 私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。しかし、信じていない時に知らないでしたことだったので、憐みを受けました。
1:14 私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛と共に満ち溢れました。
1:15 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
1:16 しかし、私は憐みを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠の命を得ることになる人々の先例にするためでした。
1:17 どうか、世々の王、すなわち、朽ちることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。アーメン。テモテへの手紙一 1章12節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 「神と自分を知る幸い」と題して、神を正しく十分に知り、また本当の自分を知ることが、如何に大切で幸いかという説教を致します。

 まず自分を知ることからお話したいと思います。

 1853年に生れ、1890年、37歳で自死したオランダの画家ゴッホは自画像でも有名です。40枚位あるそうですが、偽物を除くと37枚位を最後の3年間に描いたといいますから、驚きます。内容は色々です。また、ゴッホだけでなく、レンブラントやゴーギャンなど多くの画家にも自画像があります。人間は自画像を描く!興味深いですね。

 では、私たちが自画像を描くと、どんなものになるでしょうか。私たちは、自分の顔や姿、自分が人にどう思われているかを知りたい。誰かに撮ってもらった自分の写真やスマホで自撮りしたものも含め、人は自分の頭の中で自分なりの自画像を持って生きています。

 では、それは正しい自画像でしょうか。

 以前、面白い新聞記事がありました。50代後半位から人は皆、5歳位自分を若く見ているといいます。私は笑ってしまいました。皆様はどうでしょうか。まあ、これ位は笑って済ませますが、正直に自分と向き合い、ありのままの自分を知っているかどうかは、とても大切だと思います。それは人に対する自分の姿勢にも反映されるからです。

 慶応義塾大学の小熊英二教授が、他の政党や他の人を乱暴に攻撃する政治家が今多いことに触れて、「自分の現実に向き合う勇気がない時、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する」と書いておられ、考えさせられました。自分の現実に向き合う勇気がない時、私たちもつい他者を語ることに逃げ、勝手な期待や偏見を他者に投影し、人を攻撃しやすい。その逆に、勇気を奮って本当の自分と向き合い、自分をよく知る時、私たちは勝手な期待や偏見を人に抱いて安易に批判したり攻撃する身勝手から守られ、他者を尊ぶことができる。確かにそういう面もあることを思いますと、自分を知ることの大切さを思わないではおられません。

 ところが、自分を知ることは簡単ではありません。私たちは結構自分の描く自画像に捉われ、それから離れることが難しいと思います。

 米国のコーネル大学医学部名誉教授E.キャッセルは、豊富な臨床経験に基づき、こう書いています。「人間は、他人(そして自分自身)から受け容れられ、尊重され、高く評価されたいし、そのような人間になりたいと望む。見栄は大なり小なり全ての人間にあり、他人や自分自身との関係性の一部である。人間は必ずしもあるがままの自分(あるいは、自分自身でそのように信じている自分)ではなく、他人から『このように見られたい』と思う人間のように見られることを望む。」如何でしょうか。

 では、自分を真(しん)に見つめ、歪んだ自画像を取り除き、勇気をもってあるがままの自分を受け容れるには、どうすれば良いのでしょうか。聖書は、人間の一切合切をご存じの天地の創り主なる生ける真(まこと)の神を知り、神の前で自分を見つめることを教えます。そして、それをした一人が使徒パウロでした。彼はⅠテモテ1:13で「私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振う者でした」と書いています。クリスチャンになる前のパウロは、ユダヤ教徒としてクリスチャンを激しく迫害しました。

 どうして、そうだったのでしょうか。13節後半で「信じていない時に知らないでした」と述べていますが、まだ神の御子イエスを知らず、特に人はただイエス・キリストへの信仰により救われるという一番肝心なことを知らなかったのでした。

 無論、ユダヤ人の彼は、幼い時から旧約聖書の教育を受け、神を全く知らなかったのではありません。しかし、神からの救い主へのただ信仰による救い、言い換えますと、神の一方的な恵みと憐みにより罪と滅びから救われるという最も重要なことを知らず、彼の神知識には大事な点が欠けていたのでした。けれども、彼は神の独り子イエスを知り、まさにそこをイエスに教えられ、神知識の中心部分が明確になったのでした。

 すると何が起ったでしょうか。一つは、自分を真に(しんに)知るという幸いでした。

 創り主なる真(まこと)の神を知れば知る程、私たちは自分の思い込みによる歪んだ自画像から解放され、あるがままの自分を知らされ、それを受け容れることができるようになります。

 神を真に知ったパウロは、自分をどう語るでしょうか。13節「私は以前には、神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振う者でした」と、思い出すと今でも胸が痛む自分の過去を正直に告白します。クリスチャンとして最も脂の乗り切った時でも、彼は15節後半で「私はその罪人の頭です」と言います。また、この手紙より少し若い頃に書いたローマ7章では、こう述べます。15節「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行なっている…。」19節「私は、したいと願う善を行なわないで、したくない悪を行なっています。」24節「私は本当に惨めな人間です。誰がこの死の体から、私を救い出してくれるのでしょうか。」

彼は惨めな罪人の自分をよく知っていました。

 しかしそれだけでなく、幸いなことに、彼は神の恵みの光の下で自分を知ることもできました!Ⅰテモテ1章に戻りますが、その12節で、キリスト・イエスが「私を忠実な者と認めて、この務め(=伝道者としての務め)に任命して下さった」と言い、また光栄ある使命を授かっていることも知っていて、16節「しかし、私は憐れみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠の命を得ることになる人々の先例にするためでした」と言えました。

 ここには、イエス・キリストの明るい福音の光の中で、あるがままの自分を知る、爽やかで、神に感謝し、神を喜ぶパウロの幸いな姿があります。

 もう一点は、イエス・キリストにより、神について大切なことだけでなく、神を豊かに知ることのできる幸いでした。イエスを知ることにより、私たちは、ご自分の掛け替えのない独り子(ひとりご)イエスを救い主として賜った程に私たちを愛しておられる天の父なる神ご自身を一層よく知ることができます。

 ある時、父なる神のことがよく分らないと言う弟子のピリポに、イエスは「私を見た人は、父を見たのです」と言われました(ヨハネ14:9)。実際、イエスを知ることで、私たちはありのままの自分を知り、その自分を受け入れられるだけでなく、真(まこと)の神を豊かに知ることのできる幸いにも与れます。

 今朝のⅠテモテ1:12以降には、神をよく知ることのできたパウロの心からの喜び、感謝、賛美が根底に見られます。イエスを知った後の彼の人生には、迫害や投獄など辛いことが多かったのですが、音楽の通奏低音のように、常に神への感謝と賛美、また喜んで人に仕え、神に一切の栄光を帰する姿がありました。彼は17節でこう記します。「どうか、世々の王、すなわち、朽ちることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」

 無論、神を知ることは恐れでもあります。神は私たちの隠れた罪も全てご存じです。ですから、自分をごまかし続けるなら、私たちは最後の審判で大変なことになるでしょう。ヘブル4:13は言います。「神の御前(みまえ)に露(あらわ)でない被造物はありません。神の目には全てが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」

 けれども、詩篇130:4が言いますように、神には赦しがあります!ですから、私たちが神の前に自分を正直に見つめ、「神様、主イエスの十字架の故に、何卒、私をお赦し下さい」と心から祈り、罪を憎み、悔い改めるなら、神は必ず私たちを赦し、私たちを永遠にご自分の御側(みそば)に置いていて下さいます。

 パウロは、自分の経験を通しても、神の愛を更に豊かに知ることができました。ですから、エペソ教会の信徒たちのためにこう祈ることができました。エペソ3:18、19「全ての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さがどれ程であるかを理解する力を持つようになり、人知を遥かに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ち溢れる豊かさにまで、あなた方が満たされますように。」ここまで祈れたパウロ!何という幸いでしょう!

 主イエス・キリストを聖書の御言葉からよく知ることにより、第一に、歪んだ自画像から解放されて本当の自分を知り、第二に、知恵、力、聖さ(きよさ)、正しさ、愛、真実(ウェストミンスター小教理問答 問4参照)において無限に豊かな神をますます知り、そうして第三に、他の人に対しても誠実で柔和で親切な自分に変えられる幸いに、是非、ご一緒に与りたいと思います。

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