2024年04月25日「十戒の学び59 第十戒4」

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十戒の学び59 第十戒4

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章17節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、全てあなたの隣人のものを欲してはならない。出エジプト記 20章17節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も十戒を学びます。第十戒の4回目、全体では59回目の学びとなります。

 前回は、第十戒の具体的な点をウェストミンスター大教理問答の問148から少し学びました。第十戒の消極的な面を解説するその問148を今日も学びます。宮﨑彌男訳で読みます。「第十の戒めで禁じられている罪は、次の通りです。すなわち、自分自身の経済状態に満足せず、隣人の持っている良いものを妬ましく、また、心憎く思うこと、更に、何であれ隣人の所有しているものに、凡そ法外な思いや愛着を寄せることです。」

 

 前回は、経済的な面を初め、自分の生活状態に満足しないという罪に焦点を当てて学びました。念のためにここで再確認しておきますが、第十戒は人間の持つあらゆる欲を罪として禁じているのではありません。神は人間を最初から、例えば、真・善・美という人間の理想としての普遍的価値を追及する者として造られました。神が啓示しておられる真理を認識し、倫理上の善を求め、また美しいものを求め喜びたいなどの欲を、神は最初から人間に与えておられます。また、美味しいものを食べたいとか、疲れたら眠りたいなどの欲も、度が過ぎなければ問題ではありません。

 では、問題は何でしょうか。「あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、全てあなたの隣人のものを欲してはならない」と、第十戒の文言の中に3回も出てきます「隣人」のものと自分のものとを比べて不満を覚え、それも欲しがる欲です。欲は欲でも、「隣人のもの」にまで手を出そうとする貪欲が罪なのです。念のために確認しました。

 そこで今日は、大教理問答の問148が指摘します「隣人の持っている良いものを妬ましく、また、心憎く思うこと」という点に注目致します。これも実際には既に何度も触れてきましたが、改めて取り上げます。隣人とその持ちものに対する妬み、それ故の不満、面白くなくて不快に思うこと、時には怒りにまでなる私たち人間のその醜い利己的な欲望!これが、続けて大教理問答の取り上げる問題なのです。これは、大教理問答を要約して簡潔に解説しています小教理問答の問81も取り上げていて、重要な点であることがよく分ります。

 ここで少し考えたいと思います。隣人と自分との比較が問題の根底にあるのですが、では、隣人に対し、時として私たちの内に生れるライバル心や競争心、負けず嫌いなどは、どうなのでしょうか。これらも皆罪なのでしょうか。

 

 微妙な所がありますが、隣人に刺激を受け、触発され、自分も負けじと頑張り、努力する欲であるなら、これは罪ではないでしょう。しかし、隣人とその持ち物に対して強く嫉妬し、不満が高じて、隣人とその持ちものが駄目になったら愉快だとか、駄目にしてやろうとか、怒りを覚えるようなら、それは罪と言わざるを得ません。

 聖書に見られる例として、民数記12章が伝える兄弟間の妬みがあります。姉のミリアムと兄のアロンは弟のモーセを妬みました。「主はただモーセとだけ話されたのか。我々とも話されたのではないか」(民数記12:2)と上の二人は不満を覚え、小さな点に引っかけてモーセを非難しました。3節が「モーセという人は、地の上の誰にも勝って柔和であった」と伝えますように、彼自身は何一つ自分を弁護しませんでした。しかし、代りに主がこれに答えられました。ミリアムは罰を受けて重い皮膚病にかかり、アロンは自分たちの罪を悟って、あわててモーセにミリアムのための執り成しを頼み、彼女の病は七日間に縮められました。

 また民数記16章が伝えますように、コラやダタンやアビラムなどが共謀してモーセとアロンに立ち向かったことも、預言者モーセと祭司アロンに対する妬みと憎しみが根底にありました。

 何より神の御子イエスを十字架に付けたものは、当時のユダヤ教権威者たちの妬みであることを、異邦人のポンテオ・ピラトでさえ見抜いていました(マタイ福音書27:18)。妬みは何と恐ろしいでしょうか。

 ウェストミンスター大教理問答の問148が指摘しますように、隣人が持っている良いものを妬み、不満で心憎く思うことは、神のことを思わず、自分を第一とする罪です。そしてこれは、ミリアムとアロン、コラやダタンなどの例からも分りますように、信仰共同体である教会の中のクリスチャン同士でも起り得ます(参考 ガラテヤ5:19~21、5:26;ヤコブ3:14、16)。実際、サタンは、隙あらば私たちを罪に陥れようと、絶えず狙っているのです。

 小さな芽の間に、この毒麦は何としても抜き取らなければなりません。ですから、もし自分のそういう罪に気付くなら、妬みのためにご自分を殺そうとする者たちのためにでさえ、十字架上で祈られた主イエス・キリストに直ちに赦しを請い、自分の罪深い欲に打ち勝つ力を、主イエスにハッキリ祈り求めたいと思います。

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