2024年04月18日「十戒の学び58 第十戒3」

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十戒の学び58 第十戒3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章17節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、全てあなたの隣人のものを欲してはならない。出エジプト記 20章17節

原稿のアイコンメッセージ

 神が私たちに下さった大切な十戒を今日も学びます。第十戒の3回目であり、全体では58回目となります。

 ここで念のために、十戒を中心とする律法の大切な目的・役割を簡単に三つ、再確認しておきます。律法の三効用と呼ばれるものです。

 第一は、神の嫌われる罪を私たちに指摘することです。罪を犯していても、「何が悪いのか」と思う人もいますし、育った環境や世代により道徳観念や倫理感のずれもあります。人間が規準だと、こういうことが起ります。

 しかし、神はそんな曖昧なことを許されません。人がどう考えようとも、道徳律法の中心・十戒は罪を指摘します。そして万一この世で特に咎められもせず、うまく逃れられても、死後、神の裁きからは逃れられません。ヘブル9:27は言います。「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている…」と。十戒は何が神の目に罪かを示します。

 第二に十戒は、決して自分で自分を救えない惨めな私たち罪人を、救い主イエス・キリストに導きます。自分の罪と死後の神の裁きを思うなら、どうして私たちは、私たちを真に罪と滅びから救える救い主を求めずにおられるでしょうか。その意味で、十戒は私たちを救い主イエス・キリストに導く極めて重要なものです。ガラテヤ3:24は「律法は私たちをキリストに導く養育係」だと言います。

 第三に十戒には、キリストへの信仰により救われた者を、神に喜ばれる者へと清め、成長させ、神の栄光を表し、神を喜ぶことのできる者にする役割があります。ハイデルベルク信仰問答で、十戒が第三部の「感謝について」の中で扱われているのは、この理由によります。

 以上、私たちが十戒を繰り返し学ぶ大切な意義を、念のために再確認しました。

 今日は、第十戒の少し具体的な学びに入ります。そこで、信仰の先輩たちが残した素晴らしい信仰の遺産の一つ、ウェストミンスター大教理問答を見ます。その問147は、第十戒が私たちに求める積極的な面を解説し、問148は消極的な面を解説します。順番を変え、消極面をまず学びます。

 問148を宮﨑彌男訳で読みます。「第十の戒めで禁じられている罪は、次の通りです。すなわち、自分自身の経済状態に満足せず、隣人の持っている良いものを妬ましく、また、心憎く思うこと、さらに、何であれ隣人の所有しているものに、おおよそ法外な思いや愛着を寄せることです。」

 第一に心に留めたいことは、自分自身の生活状態に満足しないという罪です。英語の原文が今、手元にないのですが、「自分自身の経済状態に満足せず」とあるのは、恐らく、経済状態を筆頭に、社会的地位や名声や評価、持ち物など、生活状態の色々な点についての不満ということでしょう。問148の答に付けられている証拠聖句から見て、そう思われます。

 神と人にさらによく仕えることのできる者になりたいという熱意から、自分の今の状態で良しとせず、自分を打ち叩いて向上しようという欲は、尊いものです。しかし、既にお話して来ましたように、隣人の状態を見て面白くなく、自分の現状に不満であるのは、自己中心的な欲に他なりません。

 そこで、大教理問答の問148に付けられている証拠聖句の一つ、Ⅰ列王記21:4とその前後の内容を少し説明します。主の言葉に従わないことが多く、不信仰だった当時のイスラエルの王アハブは、自分の宮殿のそばにあったナボテという人の土地も欲しくなりました。これは、彼の利己的な欲から来る現状への不満であり、神のためでも民のためでもありません。

 ですから、ナボテに交渉して断られますと、アハブは猛烈に不機嫌になり、寝台に横になって顔を背け、食事もしようとしませんでした。妻イゼベルはこれを見て悪知恵を働かせ、ナボテを殺し、彼の土地を夫のために奪い取ったのでした。これは特に罪深い極端な例です。

 しかし私たちも、他人と比べて自分の経済状態、社会的地位、名声、また持っている物とか自分の属する何らかの集団や共同体での自分への評価や評判などに満足せず、面白くないということがあるなら、よくよく考える必要があります。「私は何故面白くないのか。不満なのか。これは、色々な面で自分が人より上でないと気が済まない私の自己中心的な欲と性格のためではないのか」と、まず主の前に自分を低くし、冷静に自己検証したいと思うのです。

 また、「私は本当のところ、自分がどうであると満足なのか。人よりも上であることか。あぁ、イエス様、あなたの御言葉通り、私を何よりも「心の貧しい者」(マタイ5:3)、「義に飢え渇く者」(同5:6)、そして「まず神の国と神の義を求め」る者(同6:33)に、もっとして下さい。主よ、自己中心の罪深い欲を私から断ち切って下さい」と真剣に祈りたいと思います。

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