2024年04月04日「十戒の学び56 第十戒1」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

十戒の学び56 第十戒1

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章17節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、全てあなたの隣人のものを欲してはならない。出エジプト記 20章17節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、2022月5月12日から十戒を飛び飛びにですが学び、この1月で第九戒まで終わりました。その後も暫く離れていましたが、今日は第十戒に進みます。通算では56回目の学びとなります。17節をもう一度読みます。「あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、全てあなたの隣人のものを欲してはならない。」

 出エジプトの直後、神から十戒を示されたモーセは、その40年後、イスラエルの民が約束の地カナンに入る前に、十戒を再確認しました。その時の第十戒は、申命記5:21「あなたの隣人の妻を欲してはならない」から始まります。出エジプト記の第十戒では、最初に隣人の「家」が来ますが、申命記のものでは「妻」に変っています。

 第四戒も、出エジプト記20章と申命記5章とでは、言葉が少し変わりましたが、中心点は同じです。第十戒でもそれは同じです。シナイ半島での移住生活からカナンの地での定住生活へ環境が変わりますので、具体的に教える必要を覚えて、モーセは「隣人の妻」を冒頭に持ってきたのでしょう。「隣人のものは、あくまで神が隣人に与えられたものだ。それを欲することは許されない。隣人の妻のことを考えれば良い。彼女を欲するなど許されないことが分るはずだ」ということでしょう。

 もう一つ、確認しておきます。

 ある年齢層以上のクリスチャンは、讃美歌Ⅰの交読文34にあります文語訳の第十戒の言葉、「汝(なんじ)、その隣人(となり)の家を貪るなかれ。また汝の隣人の妻、およびそのしもべ、しもめ、牛、驢馬(ろば)、並びにすべて隣人の持物を貪るなかれ」に親しんでいるかも知れません。口語訳聖書も「あなたは隣人の家を貪ってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、また全て隣人のものを貪ってはならない」であり、第十戒が禁じる罪を、「貪り、貪欲」という言葉で表わしています。

 「貪る」と訳されている元のヘブル語の動詞ハーマドは、「欲する、切望する」という意味であり、必ずしも際限のない貪欲を表わしてはいません。2018年に出ました聖書協会共同訳も単に「欲する」と訳しています。

 そうしますと、第十戒が問題とするものは、何なのでしょうか。

 この短い戒めの中に、「隣人の」という言葉が3回も出て来ます。ここが大事です。要するに、隣人のものにまで拡大する欲、己の領域、己の分を越える欲に焦点を当てているのです。他者の所有にまで自分の欲を広げること。これが何より強く断罪されているのです。

 従って、この戒めで神は、私たちに対し、第一に自分に与えられているもので満足し感謝することをお求めになり、第二に隣人とその持ち物を尊ぶ隣人愛を求められ、第三に特に隣人や他者のものにまで私たちが欲を広げることを禁じ、自分の欲に警戒することをお求めなのです。

 ですから、時々引用しますが、ウェストミンスター大教理問答の問147、148はこう教えます(宮﨑彌男訳)。

 問147「第十の戒めで求められている義務は、自分自身の置かれている状態に十分に満足し、自分の隣人に対して思いやりに満ちた心のあり方を示し、そのようにして、隣人についての内なる思いと感謝とを挙げて、隣人の所有しているあらゆる良いものに心を配り、それを増進させることです。」

 問148「第十の戒めで禁じられている罪は、次の通りです。すなわち、自分自身の経済状態に満足せず、隣人の持っている良いものを妬ましく、また、心憎く思うこと、更に、何であれ隣人の所有しているものに、凡そ法外な思いや愛着を寄せることです。」

 ですから、欲は欲でも、神と人のために、今の自分で良しとせず、もっと向上したいという欲は、問題ではありません。問題があるのは、他人のものにまで目を向け、妬み、また自分のものにしたいという欲です。この意味での強欲、あるいは貪欲を、十戒は最後に取り上げ、私たちを清めようとするのです。

 ハイデルベルク信仰問答の問113も読んでおきます。

 問「第十戒では、何が求められていますか。」

 答「神の戒めのどれか一つにでも逆らうような、ほんの些細な欲望や思いも、もはや決して私達の心に入り込ませないようにするということ。却って、私たちがあらゆる罪には心から絶えず敵対し、あらゆる義を慕い求めるようになる、ということです。」

 箴言4:23に「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。命の泉はこれから湧く」とあります。全ての罪深い言動の源である自分の心、特に隣人や他者との関係における自分の欲を「見張る」重要性を私たちは教えられます。

 表面的なことではなく、人格の座である根本的な私たちの心に焦点を当てて、常に教え導いて下さる主イエス・キリストの導きを、改めて強く求めたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す