2020年07月30日「上辺だけでなく、正しい裁きを」

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上辺だけでなく、正しい裁きを

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 7章24節

聖句のアイコン聖書の言葉

 うわべで人を裁かないで、正しい裁きを行いなさい。
    (新改訳聖書 2017年度版)ヨハネによる福音書 7章24節

原稿のアイコンメッセージ

 イエスは、旧約聖書と父なる神の御心に従い、多くの癒しや大切な教えをされましたが、当時のユダヤ人たちはイエスを批判しました。これに対してイエスが答えられたのが、今お読みした所です。「上辺で裁かないで、正しい裁きを行いなさい。」

 旧約聖書をよく勉強し、造詣も深いと自負していた当時のユダヤ教指導者たちは、イエスを15節「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか」と見下し、けげんに思いました。聖書をあまり勉強せず、論理的思考力に欠けていた民衆は、20節「あなたは悪霊に取りつかれている」と、感情的に評価しました。

 そこでイエスは言われました。「上辺で裁かないで、正しい裁きを行いなさい。」(24節)

 「裁く」と訳されている元のギリシア語は「判断する、見なす」などの意味もあります。とにかく、イエスは「何事も上辺だけでなく、正しく知って、正しく判断し、正しく評価しなさい」と教えられます。これはいつの時代でも、とても大切な教えですね。例えば、戦争を始めた動機など、その時点では正しいとされたものが、のちに歪んだ視点や偏った情報による誤った判断だったと分ることがありますし、その時の知識者も民衆も悪としたものが、のちに正しかったと再評価されることもあります。

 しかし、私たちはやはり特に人についての判断や評価という点で、主の教えを深く心に刻みたいと思います。私たちはつい、自分の狭い体験や知識、情報に基づき、「あの人はあぁいう人だ」と上辺だけで評価しやすいからです。

 もう9年も前になりますが、知り合いの女性のピアノリサイタルに行きました。その方は毎年5月にリサイタルをされ、その年は<リストと彼の愛した作曲家達 Vol.7>-リスト生誕200年に寄せて-と題する演奏会でした。

 1811年、ハンガリー生れのピアニストで作曲家F.リストといいますと、超人的テクニックを要する12曲の『超絶技巧練習曲』、6曲の『パガニーニによる練習曲』、19曲の『ハンガリー狂詩曲』などが有名で、どちらかというと深い音楽家という印象は一般に薄いと思います。私も若い頃からずっとそう思っていました。

 しかし、彼女はプログラムにこう書きました。

 「リストの音楽はそのきらびやかな超絶技巧の印象が余りにも強烈なためか、どちらかというと表面的な効果を狙った深みのない音楽というイメージを持たれているように思います。けれども様々な種類の彼の作品の演奏を通して私が強く感じたのは、それとは真逆のリストの音楽の奥深さでした。…そして何より私は、リストが生涯を通して最も大切にしていた信仰を知る時、彼の音楽に少しでも近づけるように思うのです。1865年5月20日付の書簡で彼は記しています。『音楽は本質的に宗教的であり、<生れながらのキリスト教徒>の魂の如きものであると言えるでしょう。…神への賛美を歌い、有限と無限という二つの世界の交わりに仕える以上に、音楽に相応しい役割があるでしょうか。…何故なら音楽は双方の性質を併せ持っているからです。』」

 私も調べましたが、1860年以降、リストは黒衣をまとって宗教生活に入っていました。とにかく、彼自身の音楽についての考えを知り、今までの印象を修正されて、とても感謝でした。

 淀川キリスト教病院に勤めていた時のことです。精神的問題を抱えていたかなり癖の強い青年がいました。私には正直なところ、彼がやや苦手でした。しかし、ある時、親からの虐待や無視など、とてもひどい彼の成育歴を知り、彼を深く理解できていなかった自分を大いに反省したことがありました。D.ボンヘッファーがかつて、「人が何をしたかより、人が何に耐えているかを、私たちは知らなければならない」というような主旨のことを言っていますが、本当にその通りだと、その時、思いました。

 「上辺だけで人を裁かないで、正しい裁きを行いなさい」という主イエスの御言葉を強く思います。またイエスはマタイ7:1で言われます。「裁いてはいけません。自分が裁かれないためです。」

 私たちは、日々、色々な人を無意識にも判断し評価しています。生きていく中で、それは必要でもあります。しかし、特に人の本質部分についての評価に関して言いますと、それはどんなに恐れ多いことでしょうか。どんな人にも、私たちが気付かず知らない部分が必ずあることを覚えて、私たちの評価をいつでも修正できるように、常に謙虚でありたいと思います。

 全てをご存じで、最終的に正しい評価や裁きを下せるのは、神だけです。従って、私たちは出来るだけ色々な角度からの意見や情報にも耳を傾け、特に「神様、どうか、あなたの目に正しい判断を私がすることができ、またいつでも修正できるよう導いて下さい」と、へりくだって真剣に祈り、自分でも意識的に努めたいと思います。

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